7回目の6.15、二つの光景 「共にする行動」、行き違う理解 |
【平壌発=文・金志永、李相英、写真・盧琴順記者】14〜17日、6.15共同宣言発表7周年記念民族統一大祝典が平壌で開催された。期間中、メインイベントの民族団結大会が予定通りに開催できないなどの問題はあったが、北側(300人)、南側(300人)、海外側(150人)の代表らは最終日、民族大団結宣言採択し、民族自主にもとづいた民族団結を実現していくことを宣言した。 大祝典2日目の15日、平壌の人民文化宮殿では民族団結大会が開かれることになっていたが、大会場ひな壇には最後まで代表の姿が現れなかった。北と南、海外、7千万全同胞の祝典として飾るべき一日がはかなく過ぎた。 ハンナラ党議員の参席
原因は南側代表に名を連ねたハンナラ党国会議員のひな壇参席問題だ。北側は6.15の精神に反対し、共同宣言の履行にブレーキをかけているハンナラ党は6.15を記念する行事のひな壇に座ることができないとの原則的な立場を示し、南側は「特定政党を排除することはできない」とこれに反発。 6.15民族共同委員会南側委員会は今回の民族統一大祝典を「与野が共にする行事」にするためにさまざまな面で努力を払ってきたという。「共にする」という言葉は聞こえは良いが、年末に大統領選挙が行われる南側の内部事情をまず考慮したのかもしれない。 6.15行事は毎年、北と南が交替で準備してきた。今年の開催地は北側地域。ハンナラ党議員は南側のほかの政党、社会団体、宗教団体代表らと共に平壌を訪れた。訪問経緯がどうであれ、6.15民族共同委員会北側委員会はハンナラ党議員の行事参加を受け入れた。 しかし、彼らがひな壇に上がるとなると問題は違ったようだ。6.15に反対する政党に所属する議員が6.15行事に喜んで参加したとしたら、客観的には統一を志向する一個人としての決断と行動だととらえられる。その一方、席数に限りのあるひな壇に座るようになれば、必然的に組織や団体の代表であることが強調される。 ハンナラ党に対する北側の見解と立場は南側でも知られている。ひな壇にハンナラ党の議員が座らなければならないと主張すれば、どのような反応が起きるかは当然予想できたことだろう。ところが南側委員会はその要求を最後まで撤回しなかった。 「実務的な問題ではない」 「ハンナラ党内部にも6.15を支持する人はいる」 6.15に反対する政党を強力に非難する北側の姿勢に関する反論の一つだ。北側が、個人と組織を常に同一視する硬直した思考方式に捉われていると言うのは筋の違う話だ。実際に今回の統一大祝典にはハンナラ党議員が参加している。 今祝典のメインイベントである民族団結大会の始まる予定時間は午前10時。結実のない一日を送り、北、南、海外代表らが人民文化宮殿を発ったのは午後8時だ。北側はひな壇のメンバー構成について、政党、社会団体代表をみな排除し、6.15共同委員会の北、南、海外委員長たちと討論者、司会者だけ上がることにしようという案を打ち出したが南側は呼応しなかった。代表たちとともに大会に参加することになった2000人あまりの平壌市民は、人民文化宮殿会場の座席で待機しなければならなかった。 執行部でひな壇問題が論議されている間、多くの南側代表らは人民文化宮殿ロビーや建物の外に出ていた。空席のひな壇と行事の始まりを待つ平壌市民たち、ロビーと建物の外で繰り広げられる意見交換と論争、民族共同の記念日に人民文化宮殿で見られた光景は、6.15共同宣言の旗じるしを掲げて展開してきた統一運動の原点、7年間の「6.15運動」の目的が何だったのかを問いかけていた。 愉快な即興娯楽会 「統一へ向かう途中には困難が多いという。今日のこの席を、禍転じて福となるようにしよう」 3000席ある人民文化宮殿会場からある海外代表が立ち上がり、長時間行事の始まりを待って気力がつき果てたかに見える平壌市民らに向かって呼びかけた。即興の娯楽会が開かれた。米国、中国、カナダ、ヨーロッパ、日本からきた代表らが歌を歌った。ヨーロッパ代表が歌う「アリラン」に北と海外の代表、そして会議場にいた一部の南側代表と平壌市民が歌声を合わせた。 即興娯楽会の最後、各界層市民らは「われらは一つ」を合唱した。 [朝鮮新報 2007.6.20] |