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苦難乗り越え自信持った祖国の人々 進むコンピューター化と世代交代

「経済強国、近い未来に」

 昨年11月から4カ月間、平壌支局で初めて常駐記者として活動した。取材するものとして体験した祖国。見るもの、聞くこと、すべてが新鮮だった。

コンピューターが浸透

図書、資料の目録検索と閲覧、講義などすべてがコンピューターで利用可能な金策工業総合大学の電子図書館

 平壌ではいたるところでパソコンをみかけた。文書や課題をパソコンで作成し、USBフラッシュメモリでデータをやり取りする、そんな光景が見られた。コンピュータのトラブルに見舞われても即座に対応し解決してくれる頼もしい技術者とも出会えた。金剛山で取材したとき、現地から記事を送信したときの喜びには格別なものがあった。

 コンピュータは、とくに生産現場と教育現場での導入に力が注がれている。工場や企業所、学校にはコンピュータ設備が整っており、現場で実用されていた。

 世界の趨勢を考慮すると当然と言えば当然だが、米国や日本による経済制裁が続くなかでこれだけ浸透しているとなるとやはり驚かされる。2000年にノートパソコンを持参して行ったとき、それを見たほとんどの人が珍しがっていたものだ。そんな時代は平壌でも遠い過去の話だ。

知識、技術も高水準に

 コンピュータの専門家の水準もかなり高い。「専門家」「技術者」と呼ばれるためにはコンピュータについて知らないことが「あってはならない」という徹底ぶり。OSやソフトを使いこなすことはもちろん、内部構造や起動原理を理解し、複数のプログラミング言語を操り、修理や組み立てまでできて初めて「パソコンが使える」と言えるそうだ。

 朝鮮コンピュータセンターの三日浦情報センターコンピュータ囲碁開発チームは、世界コンピュータ囲碁選手権大会で6連覇を果たした。「うちのプログラムが人間に勝つこと、それも百戦百勝で」。チームの目標がとても頼もしい。

 金策工業総合大学、理科大学などの卒業生らのレベルも高く、すでに生産現場で着実に実績を挙げている。国産OSの開発も高水準で進行している。「世界最高速」の暗号化プログラムを開発する国家科学院数学研究所プログラム研究センターなども世界レベルで有名だ。

30、40代が中心に

九賓畜産専門共同農場で生産される山芋のヨーグルトは、平壌市民だけでなくスポーツ選手にも大人気だ

 若い世代の活躍も目立つ。4カ月間に工場、企業所、農場生産現場で出会った責任者たちはほとんどが30、40代だった。「苦難の行軍」時期に大学生で国家から恩恵を受けた世代。海外留学や実習、視察の経験を持つ者も少なくない。

 そんな人々が現場で力を発揮しており、50、60代が彼らを積極的に後押しし慕っている。世代交代が着実に進んでいるのだ。

 「人が住めない山里」と呼ばれ、1990年代に過疎化していった九賓里のエピソードが印象的だった。

 1997年にここに派遣された当時30代の市職員らは、農場の管理委員長らと力を合わせ住民のやる気を呼び起こし、畜産で村を復活させた。今では人が引っ越してくるほど「裕福な山里」と呼ばれるようになった。山羊の乳製品を平壌市内各所に供給するなど、国家からの信頼も高い。

 九賓畜産専門共同農場のヨン・チョルス技師長(41)は、「国から受けた恩と期待を裏切ることはできない」と語る。

飛躍への自信

 核実験成功により朝鮮をとりまく情勢は大きく動いた。6者会談の進展により緊張状態の緩和に朝鮮人民の期待も高まる。人々の言葉も楽観的だ。「次は経済強国」と、「経済強国」建設への自信も口にする。工場や農場、企業所の責任者たちは口をそろえて言う。

 「経済強国建設は数十年先の話ではない。われわれは5年後、10年後の話をしている」

 朝鮮で多くの人に出会い取材したが、こんな言葉が最も印象に残った。

 「1990年代後半は草や根っこを食べてしのいだ。トウモロコシ粥さえ見られなかった。それが今では口の中に白いご飯が飛び込んでくるようになった。これは誰かにしてもらったのではなく、われわれが成し遂げたものだ」

 平壌火力発電所で働くカン・インチョルさん(47)の言葉。何を聞いても「はい」「いいえ」としか答えない無口で素朴な労働者が、「苦難の行軍」と呼ばれた経済的試練の時代と今では何が変わったのか、との質問には自信を持って雄弁に答えてくれた。体験者ならではのインパクトが込められていた。

 情勢の変化と経済の着実な発展、それは自分たちの努力で成し遂げたものだ−。人々は今、さらなる飛躍への自信をつけている。(李泰鎬記者)

[朝鮮新報 2007.4.26]