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映画「ウリハッキョ」を見て 「心の洗濯をしてきたよう」

 映画「ウリハッキョ」を見ながら涙がしきりに出た。私はあんな学生時代を過ごしただろうか? 先生を本当に好きで尊敬していたか? 学校を卒業しながら、あのように熱い涙を流すことができるか? 羨ましかった、「ウリハッキョ」の生徒たちが。

 一方でこのドキュメンタリーを見ながら、今「韓国」で暮らす高3が、哀れに感じられた。若くて血気盛んな年に、友との真の友情や両親の愛情、そして先生の教えよりは、ひたすら入試というフレームに縛られてどうにもこうにもできず、彼らにとっての解放とはPCの前に座ってゲームをすることが唯一の楽しみだ。

 「ウリハッキョ」は生徒と先生がひとつだ。「韓国」に暮らしながらハングルを愛さないで、祖国を誇らしく考えることはできない。しかし、北海道の朝鮮学校に通う生徒たちと先生、そして親たちは祖国を愛しハングルを愛する。それを感じさせるのが「ウリハッキョ」だ。

 私が朝鮮学校という言葉をあまり使わなかったのは、幼いときから今までなぜかタブー視されてきた単語だから。「ウリハッキョ」の高3が行く北への修学旅行。彼らが映して来た映像の主体は、ウリナラを愛する生徒たちの姿であり、純粋で明るい青少年の姿であった。彼らの面倒を見て共に過ごす北の人々も、私がこれまで「韓国」のテレビで見られなかった純粋さと明るい笑い、そして幸福感にあふれるそんな姿であった。

 上映時間が2時間を越えるがどうか終わらないで、と思う気持ちが切実だった。朝鮮学校という理由だけで北でミサイルが発射されたら脅迫電話が来て、子どもたちを殺してしまうという脅迫を受ける。その中でも屈することなく子どもたちを守る先生とご両親たち。

 北海道には一つしかない朝鮮学校なのに、「韓国」政府が何も手助けをせず、日本では迫害を受け、それでも北で支援してくれる費用で厳しい学校運営を強いられている現実に胸が痛かった。

 「ウリハッキョ」の先生は兄であり、両親であった。ポスターで笑う生徒と同じように、あのように朗らかな生徒たちと先生たち。ウリナラが早く統一してほしいとの願いを心より持っている生徒たち。いや感じさせる生徒たち。

 初等学校のときに歌った「われらの願いは統一」という歌が思いだされる。私たちの願いは統一。もうこんなことを言う人はほとんどいないだろう。今の初等学校生に聞いてみなさい。彼らの願いは統一だろうか。

 もう何かの記憶のように統一を念願した時代は過ぎ去り、暮らすのに忙しい社会を生きている私たち。酸素のように貴重な「ウリハッキョ」に心から感謝を捧げる。

 映画が始まってなぜか気分のすぐれない20分。「何だ北のなのか? アカの映画か?」という複雑な心境だった。30分たつとそんな心は消えた。画面のなかには、かわいらしい生徒たちと本当に私の子を送りたい先生たちがいたから。北も私たちと同じ民族だ。分断された祖国だが、確かに知っておかなければならないのは、彼らも私たちと同じ血が流れる一つの民族であることだ。

 北に行ってきた高3の生徒たちの言葉が思い出される。「心の洗濯をしてきたようだ」という言葉だ。私もこのドキュメンタリーを見ながら、私の心の洗濯をして来たようだ。

 今、この瞬間、自分の心を洗濯したい方々は必ず「ウリハッキョ」を見てほしい。(南の「ウリハッキョ」上映の感想から)

[朝鮮新報 2007.10.26]