top_rogo.gif (16396 bytes)

〈教室で〉 滋賀朝鮮初級学校附属幼稚班 金隆泰先生

信頼厚い理論派の「熱血保育者」

 「ラグビー好きの正義感あふれる熱血教師…ではなく熱血保育者」。滋賀朝鮮初級学校附属幼稚班の金隆泰先生にはこんな表現がぴったり。だが、熱血漢にありがちな近寄りがたさは微塵もない。園児たちは金先生の両腕をつかみ、両ひざと背中や肩にまでのっかり甘えることもしばしば。先生の両手を握って宙返りする遊びが今の流行。かわいくてつい甘えを許しているのでは−といった心配はいらない。金先生が見ていないところでも、園児たちはとにかく「しっかり者」。しかも基本的な会話は朝鮮語だ。

園児も「自立」必要

すっかり板についたピアノ伴奏

 金先生は園児たちの「自立」を教育の主眼に据えている。実際、遊具や絵本、食器の片付け、着替えや掃除など、保育者が手を貸さなくてもすむほど園児たちは「自立」している。

 6月のある給食の日。この日は園児らが料理にチャレンジした。ラーメンを作るのだという。だがスープに牛乳を入れてしまうお茶目な園児もいた。

 5歳の男児らが包丁を手に野菜を切り始めた。側で金先生が見守る。

 「誤って指を切ってしまわないか」「ふざけて包丁を振り回さないか」−大人なら誰しも心配する場面だが、それをよそに園児たちは楽しそうだ。金先生が側にいることで安心感が漂う。

 掃除の時間、園児たちは雑巾を手に床を拭き始めた。競争しながら教室の隅々まで、もちろん先生が見ていなくても。「キャッ」「キャッ」とはしゃぐ園児たちのかわいらしい声は隣の教室にまで響く。

 そんななか、ある児童が教室の隅で何やら「作業」に励んでいる。破れた絵本をテープで修理しているのだ。廊下からその様子を伺っていた金先生は、「言葉で一つひとつ言いたくはない。注意したくなるときでも必ず3回は待つように心掛けている。そうすると園児たちの心が見えてくるから」と語る。

 こんなエピソードがある。ある児童が金魚の餌を決められた量以上に与えていた。初めは理由がわからなかったが、慎重に様子を伺っていて気付いた

 「小さい金魚にやるの」。どうやら大きい金魚が餌を全部食べてしまっているようだ。

 またこんなエピソードも。昼食の時間になっても食事の準備をしない児童がいた。

 「水をやらないと枯れちゃう」。児童が自分で摘んできた花を生けたいからだった。すぐに注意せずに見守ってあげることでわかることがあるのだ。

 小さな出来事でも児童のこんな優しい一面、自分で考えて行動することに成長を実感する。金先生にとってはこうした児童の成長が元気の源になっている。

理論と実践の一致を

滋賀初級幼稚班には鉄棒が上手な園児が多い

 金先生は保育の専門教育を受けていない。大学では師範科。卒業後は同校初級部で担任をした。しかし2001年3月、幼稚園の担任を任された。

 「専門の勉強もしていないのに、子どもをあずけた学父母たちに悪い…」。そんな不安もあったが、数日後には否応無しに園児の前に立たなければならない。「まずは見かけだけでも」と専門書を読みあさり、一日5時間以上、指がけいれんするまでピアノの練習に励んだ。

 新学期が始まり子どもたちや父母たちと触れ合う過程で、保育士資格取得の必要性を感じた。

 「実践と理論が一致してこそしっかりした教育ができる」

 資格取得は子どもをあずける親たちの安心にもつながる。

 地域の朝青活動で中心的役割を果たし、同胞ラグビーサークルにも参加していた金先生が、毎日の保育に追われながら合格率10%前後の国家資格取得を目指すのはある意味、無謀に見えた。だが、独学で合格ラインにまでこぎつけた。残りは数科目を残すだけだ。

 少人数での保育に否定的な意見があった。金先生はデメリットを補い余るメリットがあることを訴え続けた。それを主張した論文が04年中央教育研究大会で論文賞を受賞。何よりも金先生が受け持ち初級部に上がっていった生徒たちの存在がそれを後押ししている。

 朝鮮学校ではまれな男性保育者という存在も大きい。元気な園児たちを相手にするにはやはり力がいる。園児たちが金先生の腕や喉を触ることで自然と男女の差を実感できる。保育では重要なことだ。

 金先生は県内の日本の保育施設をめぐっては男性保育士を探し、いろんなアドバイスを受けた。行政に掛け合い、朝鮮学校にも行事や講習会の案内を送り、日本の施設同様の支援をするよう訴えた。

 数年間の積み重ねで多方面にネットワークが広がり、保育の実践や学校の支えにつながっている。

0歳から保育を

読書の時間、絵本に夢中の園児たち

 「熱血保育者」の原点は「楽しくて温かかった」という中級部時代にある。同校中級部に通っていた金隆泰少年は当時いた熱血教師の影響を受け「この学校で教師になろう」と決心した。

 「あたりまえのことがあたりまえに行われていない」

 朝鮮学校や在日朝鮮人に対する差別や偏見、嫌がらせ、こうしたものを一刻も早くなくし、「ウリハッキョ」に子どもたちが不自由なく通え、父母が安心して送れるようにしたい。それが金先生の願いでもあり教師(保育者)を続ける理由でもある。

 これからも民族教育と関わりながら生きていきたいという金先生。夢は「民族教育初、0歳児からの保育園」に携わること。(李泰鎬記者)

※1976年生まれ、滋賀朝鮮初中級学校(当時)、京都朝鮮中高級学校(高級部)、朝鮮大学校師範教育学部3年制師範科卒業。98年度から滋賀朝鮮初中級学校教員、01年度から同校附属幼稚班保育者。現在は同幼稚班主任。04年中央教育研究会で論文賞受賞。

[朝鮮新報 2007.8.9]