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〈教室で〉 神奈川中高 国語 尹紀純先生

毎時間発表、「話す」力育てる

 2月11日、在日朝鮮学生中央口演大会(東日本)が開催された神奈川朝鮮中高級学校の講堂の片隅には、「よくやったね、よくやった!!」と、金賞をとった生徒の背中を叩きながら喜ぶ尹紀純先生(34)の姿があった。

 神奈川中高は今大会に、教科書の朗読、詩の朗読、スピーチ、才談、芸術宣伝、演劇すべての部門(中高含む)14種目に出演し、3つの作品が優秀作品に選ばれた。そのうち11種目(優秀作品2つ)の指導を一身に引き受けたのが尹先生である。

語学教育強化

授業に情熱を注ぐ尹紀純先生

 国語、日本語、英語の3つの語学教育に対する3年間計画を立て、語学教育に格別な力を注いでいる同校では、03年の準備期間を含み過去4年間に、口演大会の結果で確かな実績を積んできた。03年には5人だった出演者数が、同計画が始まった04年には12人、05、06年には31人まで増え、今大会ではこれまでにない好成績をあげた。尹先生はその秘訣を、「日頃の授業の質向上にある」と述べた。「当たり前のことだけど、教員自身が授業の質を上げるために真剣に打ちこまないと。授業中には生徒たちが積極的に、聞き、話し、発表するよう導いていく。普段の生活の中で習慣をつけてこそ、生徒たちが拒否感なく人前で話せるようになるから」。

 2000年代に入り新たに改編された朝鮮学校の国語の教科書では、「聞き取り」と「話す」能力を高めるための内容が多くの比重を占めている。「毎時間が発表の場。以前は一定量を学んだ後で発表させていたが、今は毎時間発表させている。それも国語だけではなく、日本語、英語も。わが校の生徒たちには、語学科目で発表するのは当然のことだと受け止めているようだ」。

隙のない授業

教科書を読みながら生徒の間を歩く

 望ましくは初→中→高と児童、生徒たちの「話す」能力を体系的に育てることが理想とされるが、学年が上がるごとに生徒たちは教員の言うことを聞かなくなり、日常的に朝鮮語を使わなくなるといった現象が顕著に現われるようになってくる。それでも尹先生は、「神奈川中高で私の国語の授業を受ける生徒たちはみんな、『尹紀純の船』に乗って行く」と力強く言う。「毎年受け持ちの教員は変わり、中1から高3まで、いつその生徒と授業を通じて出会うかはわからないけど、私に会った瞬間から、彼、彼女らはすべて私の生徒になる」。

 尹先生は、朝鮮語の教育は初1だから重要で、中、高級部だから疎かになってもよいことはないと断言。「中1でも中2でも、高1でも高3でも、人前で話せるということ、それも朝鮮語で。これを除いて何の民族教育でしょうか」。

 こう考える尹先生の授業には隙がない。思春期真っ只中の生徒たちなら誰もが抱くであろう「恥じらい」や「だるさ」が尹先生の授業では顔を覗かせることができないのである。45分授業が始まった瞬間から、「緊張」せずにはいられない。生徒たちはそんな尹先生の授業に対して、「先生の情熱にはほんとに負ける。国語の授業には何だかわからないうちに、積極的に参加せずにはいられない何かがある」と口をそろえる。

学ぶ姿勢

中2の国語の授業

 尹先生が国語の教員になる夢を抱いたのは、高3時代の初の祖国訪問だった。朝鮮大学校文学部卒業班の祖国での講習で、話術の指導を受けた時に褒められたのも大きな励みになった。意外にも学生時代には口演大会や「コッソンイ」作文コンクールとは縁がなかったという尹先生。国語教員になるためには「武器」を持って役目を果たさねばと、朝大卒業時には前例のない「自費研究生」として大学に残り、1年間祖国と日本を往き来しながら話術を勉強した。祖国では6カ月間、基本となる発音練習を集中的にした。その後も毎年休みを利用して祖国で学んだ。

 尹先生は「初級部時代は教員の言うとおりに、オウムのようにまねをしても、中高級部ではそれではだめ。自分なりに作品を消化して表現できなければ」と強調する。尹先生は口演大会に向けた指導の1時間のうち、40分を作品分析に割り当てる。

 「なぜなら、私のコピーを作っても仕方ないから。生徒自身の生きた感情を表現してこそ意味がある」

 尹先生はあくまで作品解釈に沿った生徒の情緒に重点を置いている。技量はそれに符合するものであるという考えだ。

 口演大会を控え、11作品を分刻みのスケジュールで指導した。「生徒たちに課題を与え、それを確認する形態で練習を進めた。課題を消化しない生徒はそ見られなかった。生徒たちが本当によくついて来てくれた」。

 同校生徒が朝鮮語の能力が特段に優れていると評価されるのが何よりの喜びだという尹先生。今大会の成果は、舞台に立った生徒のみならず、語学教育に全校をあげて取り組んだ神奈川中高と、尹先生にも与えられたものである。(金潤順記者)

※1973年生まれ。長野朝鮮初中級学校、東京朝鮮中高級学校、朝鮮大学校文学部卒業。自費研究生として1年、96〜04年話術指導を受けるために毎年祖国訪問。長野初中で5年間教べんを取った後、神奈川中高に赴任。現在、中2担当。

[朝鮮新報 2007.5.2]