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息子の卒園に思う ウリ幼稚園の取り組みに感謝

食物アレルギー、ネフローゼの持病

楽しかったウリ幼稚園生活

 穏やかに晴れた春分の日、息子が3年間過ごしたウリユチウォン(長野朝鮮初中級学校付属幼稚班)を卒園しました。

 卒園式は父母や祖父母、地域の同胞らが見守る温かい雰囲気の中で行われました。

 ちょっと緊張した面持ちで入場する成長した5人の園児たち。

 校長先生から手渡される卒園証書を受け取るのも練習どおりにはいかず、証書が読まれる前に手を出してしまったり、握手を忘れたりする姿に会場からはドッと笑いが起こります。卒園児が在園児に「これからはトンセンたちをよろしくね」と頼めば「任せてくださいっ!」と返してくるお決まりの台詞にもこれまた大笑い。そして大きなスクリーンに映し出される写真とともに子どもたちがウリマルで思い出話しをする場面では泣けたり、笑えたり…。

 思い起こせば3年前、小麦、卵、牛乳、青魚、メロン…など数々の食物アレルギーとネフローゼという持病のある息子が入園する時、若いソンセンニムたちがどれほど病気を理解してくれるのか、給食をどう解決しようかと不安でした。

なかよし5人のトンムたちと

 数々のアレルギーのためハンバーグやコロッケ、カレーなど食べられないものは家で作って持たせたり、アレルギー除去食品業者からパンを取り寄せたり、自分で焼いてみたりと奮闘しながらの日々でした。

 また、持病のため年に2、3回経験した1カ月ほどの入院生活も、私が仕事をしながらだったので同居するハルモニなしでは乗り切れなかったことでしょう。

 でも今日、卒園する息子はとても元気でウリマルも上手になり、下級生たちと並ぶ姿はやっぱりヒョンニムらしい。誇らしく成長しました。

 3年間ソンセンニムとやり取りした連絡帳は9冊に及びます。読み返してみるといろんな思い出がよみがえってきました。

 甘えん坊だった息子は幼稚園の玄関で、オンマとの別れをまるで今生の別れのように悲しく泣きました。教室の中まで一緒に入り遊び着に着替えるまでオンマを放さずソンセンニムを困らせたりもしました。

 そんな息子でしたが案外幼稚園では楽しく過ごしていた様子。連絡帳からは幼稚園でトンムたちと楽しく遊ぶ息子の姿が活き活きと伝わってきました。

 お絵かきが上手でキラキラお目々を上手に書いたこと、水が怖くてソンセンニンムにしがみつきながらプールに入ったこと、みんなで食べる給食がおいしいと何回もおかわりしたこと、大きなお芋をたくさん掘って泥んこになったこと、朝のあいさつ当番を大きな声でできるようになったこと、鉄棒に長くぶら下がりたくて泣きながらがんばったこと…。

 ソンセンニムはアレルギー食品を含まない材料を一生懸命に考え、事前に確認連絡もくれ、誕生日会のおやつ作りをしてくれました。給食時にはシッモニムが最善の注意をはらい安全に食べられるように常に神経を使ってくれました。

 そんなある日、教員室で食物アレルギーの研究書を偶然目にした私は、ソンセンニム方の子どもに関わる姿勢に敬服し、そのありがたさに感涙しました。

 また息子の病気を理解したいとおっしゃり、資料を要求され、話をじっくり聞いてくださいました。入院時にはみんなの歌声の録音テープや手紙ももらいました。

 ソンセンニムは歳こそ若いけれど、やはり育児教育専門家、子どもを心底愛し大切に育ててくださったのです。

 そんなウリユチウォンの愛に包まれ息子は無事卒園の日を迎えることができました。

 謝恩会では私ばかりではなく、それぞれのオンマたちが子どもの思い出とともにソンセンニムに対する感謝の言葉を涙ながらに語りました。

 最後にオンマたちがウリマルで歌った「みんなともだち」(中川ひろたか詞、曲)。

 「ずっと友だち、ずっとずっと友だち…みんないっしょに歌をうたって、お絵かきして、散歩して、みんな一緒に大きくなった…みんな友だち、ハッキョにいっても、大人になっても、ずっとずっと友だち…」

 息子と一緒に卒園した大切なウリトンム。4月にはみんな一緒にウリハッキョに入学します。

 異国に生まれ育つ君たちの行く手には順風ばかりではないはずです。でも君たちの故郷はウリハッキョ。君たちはずっとずっと大切な友だち。これからいっぱい学んで笑って泣いて、お互い励まし、競争し、助け合いながら大きく大きく羽ばたくんだよ。

 チニョン、フィソン、ミリョン、リョンシム、ユファ、心から卒園おめでとう!

 ウリユチウォン、ウリソンセンニム、心から感謝します。(権英姫 長野県松本市在住)

[朝鮮新報 2007.3.30]