top_rogo.gif (16396 bytes)

原告側弁護団の控訴理由書 生活支援は当然のこと

 7月26日、大阪高等裁判所で行われた在日高齢者年金裁判第1回口頭弁論では、原告側弁護団から控訴理由書が提出され、原告団の玄順任団長が意見陳述を行った。控訴理由書と意見陳述の要旨を紹介する。

 国民年金制度は、社会構成員による社会連帯に基づいた制度である。よって、社会に属する個人が、平等に負担を担うとともに平等な利益を得られなければならない。これは「日本国籍を所有する者」だけに限定されたものではなく、また、負担を担うのは外国人を含む社会構成員―でも、利益を得られるのは日本国民だけ−という不平等なものでもない。

 社会保険庁自身が、「年金制度を全国民に及ぼし、制度の普遍化を図ることを目標としている」と語っているように、「普遍性」をこの制度自体が有している。

 財源は、保険料と税金(日本人+外国人)にもかかわらず、年金の給付対象は日本人だけという現状は、在日外国人追放政策に起因している。

 1949年、吉田茂首相(当時)は、マッカーサーあてに「すべての朝鮮人を本国に送還すべきである」という手紙を送った。その後、1952年に発表された、いわゆる「民事局長通達」によって、旧植民地出身者は日本国籍を剥奪された。これは、単純な「通達」だけで選択権も付与しないまま政策を強行したという、類例にない強制的な手法であった。

 その後、数回にわたる改定で、日本人、外国人を問わず社会構成員全員が平等に負担し、平等に受益する「社会連帯」がほぼ達成された。しかし、在日高齢者と一部の在日障がい者のみが、今なお放置されている。

 帰属国家責任論(「在日外国人の社会保障の責任は、その者らの本国にある」という被告側すなわち日本国家の主張)の根拠について、京都地方裁判所の判決では何も示されていない。

 国際社会においては、一定期間居住した外国人に対しては、自国民とまったく同様に扱うことが共通理念となっている。また、在日韓国、朝鮮人1世たちは、日本の植民地支配の結果として渡日し、日本に定住せざるをえなかった人たちである。日本政府は、植民地支配下で一方的に押しつけた日本国籍を、戦後は選択の機会も与えぬまま剥奪した。このような歴史的経緯からすると、選択の機会すら与えなかった日本政府が「国籍が違う」というだけで、日本国民と取扱を別にすることを正当化するのはまちがっている。

 さらには、在日韓国、朝鮮人たちは日本に定住して生活し、働き、納税してきた。すでに朝鮮半島に生活基盤はなく、この日本で生きていくしかない。生活実態において日本国民と何ら差異がないのだから、日本社会が社会保障を準備するのが当然である。

 また、日本政府自身が、1985年の年金法改正まで在外国民を国民年金制度の適用から除外してきている。それ自体、「帰属国家責任論」が成り立たない証左だ。

 国際人権規約A規約2条2項は、「この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人権、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見およびその他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、出生または他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障することを約束する」と規定している。

 A規約2条2項について一審判決では、「裁判規範性、自動執行力がない」としているが、これはまちがっている。

 規約で使われている表現をみると、「保障する(guarantee)」は、国家の積極的義務を含む強い表現である。文脈からみても、2条1項では「漸進的(少しずつ)」という表現が使われている。2項ではその例外として、平等原則は即時的義務だと指摘している。また、3項においては、さらにその例外として開発途上国における限界の許容を規定している。

 仮に、一審判決のように、すべてが政治的宣言にすぎないと解釈するならば、このように1、2、3項に分ける意味がなくなってしまう。

 一方、国際人権規約B規約26条は「すべての者は法律の前で平等であり、いかなる差別もなしに、法律による平等の保護を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別を禁止し、および人種。皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見およびその他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、出生または他の地位等のいかなる理由による差別に対しても、平等かつ効果的な保護をすべての者に保障する」と定めている。

 国籍はここでいう「他の地位」にあたるため、国籍を理由とする差別は許されない。一審判決は、「社会保障法は立法府に裁量権があり、外国人除外も裁量権の範囲内であるため規約違反ではない」とするが、これは国際的に例をみない「独自の見解」でしかない。

 規約人権委員会としては、もし例外的に差異的取扱が許される場合があるとしても、それは人権を守る規約の下で正当な目的を達成するためであり、また、その手段が必要最小限度のものでなければならないとの見解を示している。

 「目的が正当であるか否か」「手段が必要最小限度のものであるか否か」は、国家が立証しなければならない。そこに立法の裁量権を認めるのは誤りである。

 日本国憲法14条1項では、平等原則違反−すなわち差別か否かの定義を、@国が同様の状況にある者に、A客観的、合理的な正当化事由を示すことなく、B異別の取扱をした時−と定めた。

 客観性と合理性の審査方法において人権と裁量権がぶつかる時は、平等原則が優先される。在日韓国、朝鮮人の位置は憲法14条において「社会的身分」に該当し、日本国民と同じ社会に属し、同じ社会に居住しているため、国民年金法の受給に関して国籍に基づく区別を正当化する理由などない。

 原告らに年金が支給されないのは、国際人権規約と憲法14条に違反することであり、したがって、国家賠償法上も違法となる。

 2005年の大法廷判決は、「国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには、国家賠償法1条1項に抵触する」と明らかにした。

 原告らは日本国籍を持たないために、国民年金、社会保障の分野で差別を受けてきた。これは、国会の立法措置なくしては救済されないものであり、これまで国会の中で幾度も取り上げられ十分に認識されてきた。にもかかわらず、国会は20年以上も所要の立法措置を正当な理由なく怠っている。

 一審判決は、原告らの無年金状態は立法最良の範囲内として、原告らの精神的苦痛に対しては無視した。原告らは、日本の植民地政策の下で渡日を余儀なくされ、戦後も帰国を断念せざるをえなかった人たちである。

 また、戦前、戦中は日本国籍を有し、「皇国臣民」としての生活を送ってきた。しかし戦後、選択権も与えられずに日本国籍を剥奪され、そしてその日本国籍を有していないことを理由に国民年金が支給されていない。

 原告らは、渡日から解放まで筆舌に尽くしがたい過酷な生活を強いられてきた。現在も無年金状態におかれ、大きな精神的苦痛を受けている。

 日本政府は、戦後補償の一環という意味においても、生活支援を行わねばならない。

[朝鮮新報 2007.8.6]