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〈東京朝鮮第2初級学校土地問題裁判〉 第17回口頭弁論での意見陳述書A

問われるべきは日本政府と東京都

 2003年12月、東京都は本校の校地のうち、都有地の明け渡しと校舎の一部取り壊し、また、4億円もの地代相当金を支払うよう求めて提訴し、裁判が始まった。それまで東京都との間で、校地の払い下げ交渉を友好的に続けてきた私たちにとって、それは信じられない衝撃だった。

 「学校、なくなっちゃうの?」

 私に日々問いかける子どもたちのまなざしが胸に突き刺さる。

 昨年(05年)行われた「第28回在日朝鮮学生作文コンクール」で、1等に入選した本校卒業生である中級部2年の朴麗美さんの作文「心のふるさと」の一部分を紹介する。

 「…私の愛する母校が今、『土地問題』で大きく揺れています。…2005年の夏、学校の運動場では毎年恒例の夜会が開かれましたが、今年は例年とは少し違いました。

 毎年参加している地域の日本の人だけでなく、有名な日本人弁護士や市民団体責任者といった人たちがとくに多く参加したのです。日本の人たちは、『枝川朝鮮学校の土地問題解決は、自分たちの問題だ。みなさん、一緒にたたかいましょう!』と熱烈な連帯のメッセージを送ってくれました。私はなんだか胸が高鳴るのを覚えました。

 私がもっとも感動したのは、日本の人たちが『支援連絡会』という組織をつくり、第2学校を守る運動に取り組み始めたということです。それでだけではなく、『枝川基金』を集めて、学校のスクールバスを贈ってくれるとのことでした。私は思いました。そして確信しました。(私の母校―私たちの『心のふるさと』は、同胞たちの愛と、朝・日親善の連帯の中でいつも私たちを温かく迎えてくれるだろう)と…」

 ある日突然「被告」となった学校。

 2003年10月7日、産経新聞をはじめ、各新聞で報道された「不法占有」という大きな見出し。本当に信じられなかった。65年前、当時の東京市によってゴミ捨て場であった枝川に強制移住させられた1000人を超える同胞たちが始めた学校が、「不法占有」なのか?

 裁判を提訴されてから学校の先生、保護者、生徒たちは毎日、不安な日々を送っている。子どもたちが遊ぶ学校が、それも個人ではなく、東京都から裁判を起こされた私たちの心情を理解してもらえるだろうか?

 「学校はどうなるの? なくなっちゃうの? 取られちゃうの?」

 保護者、生徒たちからの問いに、私はなんとも言えぬ虚しさと悔しさ、不安でいっぱいだった。見慣れない裁判資料に弁護団との会議、社会見学でしか行ったことのなかった裁判所への傍聴、毎日のように学校に訪れる来客と取材の人々…。こういう状態がもう3年も続いている。

 裁判開始以降、日本はもちろん南の各界各層の多くの人たちが私たちの学校、枝川の町を見学に来たが、その数は現在まで1600人にのぼる。また、テレビや新聞、雑誌、通信社などの日本のメディアが本校を取材して取り上げたほか、南の主要テレビ各社からも取材が来て南で大きく紹介されている。

 こうした流れの中で、2004年7月に行われた江東集会を機に「枝川裁判支援連絡会」がつくられ、学校を支援する運動が活発に行われてきた。南でも昨年、「支援対策会」の結成式がソウルで行われ、国会議員3人を含む15人の代表団が訪日。学校訪問のほか、外国人特派員協会で記者会見も行った。

 民族教育の権利擁護のための私たちの裁判闘争を、在日同胞はもちろん、これほど多くの日本や南の人たちが支援してくれることに私は驚きと感動、そして何よりも感謝の気持ちでいっぱいだ。

 裁判開始当初は精神的、肉体的に辛いときもあったが、多くの学父母や同胞の支え、常に苦楽をともにする教師たちの後押し、そしてこのような多くの日本の友人たちとの出会いがあったからこそ、乗り越えることができた。

 在日朝鮮人子女の民族教育は、異国の地で同胞の民族性を守り、子どもたちの幸せな将来を花咲かせるうえでこのうえなく大事な事業だ。日本で生まれ育ち、祖国と民族の言葉と歴史、故郷の山河を知らない子どもたちを、いかに朝鮮民族の一員として民族のアイデンティティーを育むか。また、いかにして絶え間なく変化する現代社会に生き、活動する人間としての自主性と創造的能力を培うか。この問題は、民族教育を行う者がその時代の流れの中で常に抱えてきたものだ。

 民族教育を受けた10万人にのぼる全国の卒業生たちが、民族性をしっかりと受け継ぎ同胞社会と民族運動、また日本社会のあらゆる分野で主人公として重要な役割を担いつつあることは、私たち在日朝鮮人の貴重な財産であり、大きな誇りである。

 少子化が進む日本社会では、生徒数減や財政難を理由にした学校の統廃合が行われているが、在日朝鮮人社会も例外ではない。朝鮮学校の財政事情は中小の自営業者が多い保護者からの授業料、地域の同胞からの寄付金等により賄われていることもあってより深刻だ。

 しかし、寄付を集めるといっても限界があり学校教育活動に必要な教材、教具などはいっさい購入することができず、校舎の補修費も同胞の寄付に頼っているのが現状だ。
 もともと強制移住させれられた土地で、日本の植民地支配によって奪われた言葉と文化を取り戻すための教育をしている本校は、日本の学校と同様に国庫助成がなされて当然だと思う。

 日本人であろうと外国人であろうと、子どもたちは一人の人間として成長し、自己の人格を実現するために必要な学習をする権利を誰もが持っている。

 この裁判で問われるべきは学校ではなく、戦前戦後と同化教育を強制して差別政策を続けてきた日本政府であり、子どもの権利条約など国際人権条約を履行する自治体として、民族教育を保障する義務を負っているにもかかわらず、それを放棄している東京都だと思う。(東京朝鮮第2初級学校・宋賢進校長)

[朝鮮新報 2007.1.22]