声援? それとも… |
先日、東京朝鮮中高級学校中級部サッカー部の試合を取材した。 ピッチを駆け回る選手たちをレンズ越しに追いながら、たまにスタンドにカメラを向ける。すると、一目でそれとわかる一群が視界に入る。 その一群は明らかに応援団なのだが、そこだけ気温が2度は高いんじゃないかと思わせるぐらいに、ただならぬ熱気を発していた。その一群とは他でもない、選手のオモニたちである。 一方のアボジたちはどうだろう…と探したら、スタンドの最上段にいた。こちらはじっくりと静観の構え。お隣同士で経過の分析でもしているのだろう。 すると、どこからともなく、ピッチに大声が響いた。 「そこは、シュートだろう!」 「違う、もっと下がれ!」 …とある選手のアボジだった。現役の頃は、あの帝京サッカー部をねじ伏せていた世代だ。往年の名選手にしてみれば、(俺だったらこうするのになぁ…)との思いがあったのかもしれない。 監督が少し観客席を気にした。すかさず、オモニたちが振り向いて一喝。 「指示は、ダメ!」 何やら悟った様子のアボジは、謝りながらゆっくりと席に戻った。 同胞の声援は励みになる。しかし、それが「指示」になってしまっては、「ありがた迷惑」になりかねない(アボジたちの気持ちもわかるが…)。 近年、スポーツ分野における朝鮮学校生徒の活躍は目覚ましい。ここは一つ、「声援」に徹しましょう。(健) [朝鮮新報 2007.8.20] |