故康永官・総連中央常任委員が法務大臣にあてた手紙(全文) |
昨年12月14日、獄中闘争の最中に亡くなった康永官・総連中央常任委員が11月30日、信憑性のない証拠により有罪判決を下した一連の裁判の不当性を訴える、長勢甚遠法務大臣あてに送った手紙の内容を全文掲載する。 客観的証拠欠いた謀略裁判 突然お手紙を差し上げる非礼をお許しください。 私は無実の罪、冤罪という罪でない罪に処せられて、現在東京拘置所を経て静岡刑務所において刑に服務させられている者です。 私に科せられた罪名は「業務上横領罪」というものでした。 私は上記罪名で起訴されて第一審の東京地方裁判所において懲役6年の実刑判決を受けました。判決の結論は、私が朝銀東京信用組合(当時、以下朝銀東京と略します)内において行われた違法な金銭横領行為においてこれを要請、指示し実行させた主犯だというものでした。 しかし本件犯罪行為(以下、本件犯行と略します)は、私の全く知らない身におぼえのないことであり、もちろん私は何らの関与もしておらず、そもそも私は朝銀東京において本件犯行が行われていたことすら知らなかったのです。 さらに検察側は、私を本件犯行に関連づける、私に罪があるとする客観的な証拠を何一つ提示していないのです。こんな馬鹿なことがあってよいのでしょうか。私は一審判決を到底納得できないと即刻東京高等裁判所に控訴致しました。しかし第二審の東京高等裁判所でも判決は変わりませんでした。 私は刑罰をおそれているのでも、判決の量刑が過重だと言っているのでもありません。私は何の罪も犯していない、無実の罪、冤罪というありもしない罪で刑罰を受けるのは不当だと主張しているのです。 私は公判廷においても、「私を有罪とする客観的な証拠を見せてください。もしそういうものが一点でも提示されれば、私は悪うございましたと刑に服します」とまで抗弁したのですが、検察側からは一言半句の応答もありませんでした。 このように私に対する起訴、裁判は客観的な証拠は何一つなく、ただただ検察、公安当局の思惑だけで造作されたシナリオ通りに進行させた朝鮮総連弾圧の謀略劇だというほかないのです。 検察側は私を起訴するにあたり、本件犯行への私の関与を立証する唯一の証拠として、本件犯行の実行者たちであった朝銀東京の一部幹部たちの捜査段階における供述調書(以下、供述調書と略します)を法廷に提出しました。ところが検察側が唯一の証拠として提出したこの供述調書が全く信憑性のないものでした。 公判廷でも指摘しましたが一つ二つ実例をあげてみますと ・私が在日本朝鮮人総連合会の財政局長に就任したのは1993年7月でしたが、供述調書には1990年5月の時点で、すなわち3年以上も前に私がすでに財政局長だったと記載されてあります。これは明らかに客観的事実と異なった記載です。 ・さらに供述調書には本件犯行に使われた朝銀東京の預金口座から数千万円という大金が数回出金されて、そのお金が康さんに渡されたと、このことから本件犯行に使われたこの口座は康さんの口座なんだと思うようになったと、あたかも本件犯行への私の関与を裏付ける確固たる証拠であるかのように記載されてありました。 そこで私は同口座の取引履歴書(同口座の全ての入出金記録をコピーしたもの)を精査してみました。そうしたところ、同口座からは供述調書に記載されている数千万円という大金の出金記録が数回はおろか、ただの一回の出金記録もありませんでした。数千万円を出金したという記録が全くないのです。すなわち、そのようなお金は全く出金されていないということです。供述調書には数千万円という大金が数回出金されたと、そのお金が康さんに渡されたと、そのことから本件犯行に使われたこの口座は康さんの口座なのだと思うようになったと記載されているのです。ところが実際には同口座からは数千万円という大金が数回はおろか一回も出金されていなかったのです。したがって、同口座から数千万円という大金が数回出金されたというのは嘘で、そのお金が康さんに渡されたというのも嘘で、お金が康さんに渡されたことから本件犯行に使われたその口座を康さんの口座なのだと思うようになったというのも嘘だということです。すなわちこの部分の供述調書の記載は、全てまったくの嘘で、これらの記載は悪意に満ちた意図的なねつ造だということです。 これらについても私は公判廷で指摘しましたが、検察側からは一言半句の応答もありませんでした。 このほかにも供述調書には客観的事実と合致しない記載が多々あります。 さらには、検察側は本件犯行への私の関与を立証するために、本件犯行の実行者たちで供述調書の供述者たちである朝銀東京の関係者たちを検察側証人として公判廷で証言をさせました。ところが彼らは公判廷の証言台で一人残らずみながみな「捜査段階で自分の罪を軽くしようと嘘を言いました」「康さんは本件犯行には何の関与もしておりません。本件犯行に対する要請、指示などを受けたこともありません」「本件犯行は朝銀東京内部の私たちだけでやりました」等々と証言致しました。 また、検察官の供述調書の記載内容に対する確認尋問に対しても、「私はそのようなことは言っておりません」「そのようなことは知りません」「それは私が供述した真意と違います」などと、供述調書の記載内容を否定する証言を行いました。 これらの諸事実は、検察側が本犯行への私の関与を立証する唯一の証拠として提出した供述調書が客観的事実と異なっていたり、供述者が言っていないことが、知らないことが記載されていたり、あるいは供述者の供述した真意が大きく歪められて記載されているものが多々あることを示しております。このことは検察側が唯一の証拠として公判廷に提出した供述調書が、検察側によって意図的に造作、変造されたものであることを如実に示すものであり、裁判の証拠物にはとてもなりえない、信憑性のないものであることを明示しております。 しかるに一審、二審ではこの供述調書を唯一の根拠として私に有罪の判決を下したのです。 一審判決では公判廷において証人たちが「真実を述べる」と宣誓までして陳述した証言を信用できないと退け、密室で密かに行われた取り調べの調書、供述者本人たちが虚偽の供述をしたと証言する供述調書、供述者本人たちが記載内容を否定する供述調書を信用できるとしたのです。 さらに驚くのは二審判決です。 二審では一審判決の焦点が証人たちの証言の真偽、信憑性にあったので、弁護団が証人尋問を強く求めたのに証人尋問を全く行わず、それなのに判決では証人の公判廷における証言は信用できないと断じていることです。証人尋問を全く行わないで証人たちの証言は信用できないと断じた判決、こんな馬鹿なでたらめな判決が許されるのでしょうか。 全く事実認定を誤ったひどい判決、不条理、不正義の判決を私は到底納得できないと、最高裁判所へ下級審の誤ち、不正義を是正してくれることに一縷の望みを託して上告しました。しかし最高裁判所でも上記の種々の真実、不正義には一顧だにせずに、下級審における事実認定の誤りは上告理由にならないとの理由で上告は棄却されて二審判決が決定したのです。 私は刑罰をおそれているのではありません。罪を犯せば当然に応分の刑罰を受けてしかるべきです。しかし私は何の罪も犯していない、無実なのに刑罰を受けるのは不当だと主張しているのです。 法治国家を自負する日本において、証拠裁判主義を大原則とする日本において無原則、無法がまかり通る事態が起こっているのです。 何の罪も犯していない無実の者が何一つ信憑性のある証拠もなしに裁かれて有罪に処せられているのです。検察側が唯一の証拠として提出したのは虚偽と判った供述調書、検察側が意図的に造作、変造、ねつ造した供述調書のみで、真実を叫ぶ証人たちの証言は一顧だにされず、正義の最後の砦だと自負する最高裁判所も下級審の事実認定の誤りは上告理由にならないと結果的には下級審の誤り、不正義の判決を是認する決定を下したのです。 最高裁判所が裁かない下級審の明らかな誤りを正す方途はないものかと考えて、以上の事態を是正するのは日本国の司法の総元締めである法務省、その長である法務大臣の責務の範疇に属するのではないだろうかと思い当たり、ぶしつけながら直接書面にて叫訴する次第です。 2006年11月30日 [朝鮮新報 2007.1.19] |