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端境期(はざかいき)

 一瞬に景色が変わる端境期

 古米に代わって新米が出る時期を端境期という。新米のおいしさに舌を打ちつつその一方で、忘れ去られてゆく過去の収穫。一年過ぎれば古米と呼ばれる。

 友人がふと漏らした。17年間法事をしてきたが、兄弟が簡素化を言い出した。一人は、それぞれの家で盆と正月をする。もう一人は、法事自体をしないと言いきった。友は今までの17年間はいったい何だったのかと虚脱感を味わっている。

 確かに女性にとっては負担である。買い物、料理、後始末、集まっては身内のゴタゴタ。捨て去るのは簡単である。が、少し待てよと心が揺らぐ。法事が在日にとって唯一身内が集まる場であった。また、子どもたちは親せきのぬくもりを感じ、年上と年下、そして礼をして供物を下ろし分けて食す。これを親たちは行ってきた。これは形式であり儀式である。しかし、その真の意味は何だろうか。亡き人たちへの想いを次世代へ伝えることでないだろうか。

 「あなたを忘れない」記憶に止める行為ではないか。人は死ぬ。富も名誉も死する時には意味がない。死する時に唯一意味があるとすれば「あなたを忘れない」記憶に止める、それだけではないか。

 人が人を恋しく懐かしく思うこと、折に触れその人を思い出すこと。

 それ以上もそれ以下もないように思う。

 この道は私が愛し愛された

 (高貞子、作家)

[朝鮮新報 2006.12.2]