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「悪戦苦闘」−美濃部、安江両氏の労苦

 朝鮮大学校の認可に多くの日本の知識人たちが賛同したことは、本紙の琴秉洞氏の連載で触れられている。すでに鬼籍に入られた美濃部亮吉・都知事と安江良介・岩波書店社長には、記者として一方ならぬお世話になった。思い出すたびに胸が熱くなる。

 美濃部さんは84年12月に亡くなったが、実は、翌年の9月の朝鮮の国慶節にご夫妻で訪朝することが決まっていた。時子夫人によれば、自分ではほとんど手紙を書いたことのなかった美濃部さんだが、「どこの誰に会えなくても、金日成主席にだけはお会いしたいと珍しく筆をとって、お国に手紙を送ったのです。主席からも招待状が届いていました」と残念そうに話していた。

 生前、朝鮮から手紙が届くと、翻訳してほしいと頼まれて、参院会館によく呼ばれたことがあった。ダンディーで洗練された物腰。いつもにこやかで、優しい方だった。

 安江さんには、朝鮮解放50周年の記念企画として長時間インタビューを行った。岩波書店の社長室で2時間以上お話をうかがったが、社長室の両面の壁全部が本で埋め尽くされていたのに驚いた。安江さんは、講師として呼ばれると日本各地のどんな小さな市民集会にも足を運んで、朝・日の関係改善の必要性について語っておられた。その情熱あふれる口調と迫力がいまでも脳裏に焼きついている。

 朝大の認可問題では、「悪戦苦闘したが、在日朝鮮人の圧倒的な支持を受けて実現したことが一番うれしかった」と述懐していた。小平のキャンパスにはさまざまな人の労苦と汗が流されていることを心に刻みたい。(粉)

[朝鮮新報 2006.11.4]