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朴永心さんの死去−耐え難い苦痛を抱えて

 ここに一枚の写真がある。1944年9月、中国雲南省拉孟で中国軍第8軍の捕虜になった4人の朝鮮人「慰安婦」。その中の妊娠した一人の女性。それが7日、恨多き85年の生涯を閉じた朴永心さんだ。

 写真の妊婦を朴さんだと突き止めたのは、故松井やよりさんと共に2000年の女性国際戦犯法廷で大きな役割を果したルポライター・西野瑠美子さんだった。その取材の全過程は「戦場の慰安婦−拉孟全滅戦を生き延びた朴永心の軌跡」(明石書店刊)に詳しい。

 朴さんの生を明らかにするのは、日本軍の残忍な性奴隷制度の実態を照らし出すことでもあった。17歳の乙女が植民地支配下の故郷、南浦から、日帝の官憲に騙されて、戦場の「慰安婦」として駆り出されていくまでの運命の暗転。朴さんはこう語っている。

 「砲弾の嵐の中で、屈辱に満ちた生活を送り、幸運だったのか悲運だったのか、私は死線をくぐり抜けて生き延びてしまった。故郷に帰ってからも当時の記憶に苛まれて、まるで罪人のような気持ちを抱えて生きてきた。悪夢に襲われ、人々に過去のことを知られまいと隠し通し、耐え難い苦痛を抱えて生きてきた私の一生は、一体何だったのか」

 80歳の頃の述懐であった。朴さんをいつまでもとらえて離さなかった恐怖と絶望の深さ。その中から日本軍の比類なき野獣性と暴力性が浮かび上がってくる。

 その加害責任を60年以上も放置し、居直る日本の首相がまたも靖国詣でをした。朴さんは「私は人間です。人間の尊厳を破壊した行為を忘れるのは人間ではない」と語っている。この血を吐くような叫びを、私たちが永遠に語り継がなければ。(粉)

[朝鮮新報 2006.8.21]