水害を乗り越えて−鹿児島「土曜児童教室」開講 |
7月末の大雨で被害を受けた鹿児島県出水市に大学時代の先輩が暮らしている。本紙「女性」欄連載のリレーエッセイ、「それぞれの四季」の筆者(昨年上半期)でもあった李命淑さんだ。テレビ報道などで被災状況が伝えられるたびに安否が気づかわれた。 「同胞宅で唯一の被災者となってしまった」と、本人から電話がかかってきたのは、九州地方で梅雨が明けたばかりのとき。「道路が川のようになって、冷蔵庫が流れていた。大人の腰の辺りまで水が増して、大慌てで子どもたちを会社の2階に避難させた。平屋建てのわが家は水浸し。泥水と排水が流れ込んできて家の中はめちゃくちゃ、洋服ダンスも、子どもの机も使えなくなった。靴も全部流れていった。雨がやんで家に戻ると、主席と総書記の肖像画だけが何事もなかったように家の中を見下ろしていた…」。 大の本好きだった先輩は、今ではなかなか手に入らない朝鮮の古典文学や、革命小説「不滅の歴史」シリーズを失ったことをとても悲しんでいた。夏の強い日差しが照りつける中、片付けに追われる毎日だという。 そんな彼女の電話の用件は、「朝鮮語の辞典を送ってほしい」ということだった。19日に「土曜児童教室」を開講するという。朝鮮学校のない鹿児島県では、この春、児童教室で学んだ児童が朝鮮学校に編入した。 「鹿児島の大型書店に行けば、『韓国語辞典』は手に入る。でも、朝鮮学校で学ぶことを考えると、やはり『朝鮮語辞典』を使わなくては」。遠く鹿児島の地で、「民族教育」に情熱を注ぐ先輩の姿に胸が熱くなる想いがした。(潤) [朝鮮新報 2006.8.11] |