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萱野茂さん−「愛する二風谷で永遠の命を」

 アイヌ民族初の国会議員としてアイヌ文化振興に多大な貢献をした元参議院議員の萱野茂さんが、6日、急性肺炎のため、死去した。享年79歳。

 萱野さんは、アイヌ民族の文化を体現した人で、国会で「アイヌ文化振興法」制定に貢献し、先住民族の権利回復に尽力した方だった。

 この百年のアイヌの人たちの苦難の道のりはいかばかりだったかと思う。

 今から一世紀以上前の1899年、明治政府は、アイヌ民族の土地と言語、名前を奪い、伝統文化を否定し、同化と奴隷労働を強要するために「北海道旧土人保護法」を制定。実にこの稀代の悪法は、その後百年も生き続け、97年にやっと廃止され、「アイヌ文化振興法」に代わったのだ。

 しかし、その時には、すでにアイヌの伝統文化は徹底的に破壊され、言葉や風習、文化を理解するアイヌの人々はほとんどいなくなっていたという悲劇。

 ついでにいえば、旧法は、後の台湾、朝鮮への植民地支配の原型をなしたもので、東京帝大教授などを歴任した新渡戸稲造が米国で学んだ、アメリカインディアンの同化法・「ドーズ法」が下敷きになっている。

 生前、萱野さんは「アイヌ民族は、和人(日本民族)が『北海道』と勝手に名づけた『アイヌシモリ』を、和人に売った覚えも貸した覚えもない」と発言していた。アイヌ民族としての誇りと愛が深かっただけに、その底知れぬ怒りが察しられる。

 萱野さんの住まいは北海道平取町の二風谷という美しい響きを持つ土地にあった。先祖の魂に迎えられて、安らかに永眠してください。(粉)

[朝鮮新報 2006.5.15]