初の女性首相−茨の道くぐり抜けて |
誕生日の日に韓国初の女性首相指名を受けた韓明淑・ウリ党国会議員(62)。記者会見で「この地の娘たちに、希望と勇気をもたらすことになるでしょう」とほほ笑んだ。 旧知の清水澄子・参議院議員は「長い間、アジアの平和と朝鮮の統一支援のために志を一つにして闘ってきたすばらしい仲間。久々にこんなにうれしいニュースはありません」と相好を崩した。 その波乱に満ちた半生は、そのままわが民族の過酷な現代史に重なる。平壌に生まれ、朝鮮戦争を体験。6歳で南へ。梨花女子大生時代に、韓・日条約反対闘争に参加。結婚して半年目の68年に、ソウル大生だった夫朴聖焌氏(現、大学教授)とともに「北朝鮮のスパイ」容疑で逮捕。韓さんは執行猶予の判決で釈放されたが、夫は懲役15年の刑で大田刑務所に投獄され、釈放は実に13年後の91年。 韓さんはその間、ずっと闘い続け、光州事件の前年、クリスチャンアカデミー事件の際に、反共法違反で逮捕。KCIA本部に連行され、凄まじい拷問を受け、2年半も投獄された。「自白しろと、靴で踏まれ、角棒で全身を殴られ、血だらけあざだらけで歩くこともできなかった。あまりの苦しさに自殺したかった」と、当時の凄絶な体験を96年、東京で語ったことがある。 絶え間ない闘いの日々を潜り抜けて勝ち取った果実。圧制と闘い、民族統一を希求し、女性解放運動を結びつけた要には、いつもこの人がいた。91年から東京、ソウル、平壌で「アジアの平和と女性の役割」シンポが開かれたが、この運動を切り開き、韓さんたち次世代につないだ故李愚貞、李効再、尹貞玉さんたちの業績の大きさをあらためて思った。(粉) [朝鮮新報 2006.4.3] |