「木に学べ」−最後の宮大工の心意気 |
最後の宮大工と言われた薬師寺宮大工棟梁の西岡常一氏の話をまとめた「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」(小学館刊)を最近読み終えた。 飛鳥時代に建てられた法隆寺は、その歴史的背景からいっても、朝鮮三国の影響を受けたことはまちがいない。1300年前にあのような優れた木造建築が誕生し、現代にまでそのまま伝えられてきたことは、驚嘆に値しよう。何度も法隆寺に足を運んだが、この本を読んで新たに教えられたものがいくつもあった。 その1。樹齢1千数百年のヒノキが使われた。飛鳥の宮大工は、当時、すでにヒノキの耐用年数を知っていたのだ。西岡棟梁いわく、「今の大工は耐用年数のことなんか考えておりませんで。今さえよければいいんや。とにかく検査さえ通れば、あすはコケてもええと思っている。私ら千年先を考えてます。資本主義というやつが悪いんですな。利潤だけ追っかけとったら、そうなりまんがな。それと使う側も悪い。目先のことしか考えない」。20年前の言葉だが、棟梁は、耐震強度偽装事件で揺れる今の世相をピタリと言い当てている。 その2。回廊の「連子格子」の作り方が、飛鳥のものは、一本ずつ木の個性を活かして、全体のバランスよく作ってあるが、後世のものは、規格品としてすべてを同じサイズで、まっすぐ。棟梁は「飛鳥の建築のよさを、今の時代に活かしたらいいと思うが、あきませんな。より速く、いかにもうけるかという経済の方が、優先されてますからな」と嘆くのだ。 棟梁は生前「偏屈」だと周りから思われたようだが、それは名工への最大の賛辞であった。(粉) [朝鮮新報 2006.3.13] |