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駄々こねる「小児病」−「申しわけない」という人間の心を

 今年1月初頭の東大シンポで、仏の著名な哲学者アラン・ブロッサ教授は、靖国問題をめぐる小泉首相の態度を、「何で僕だけが悪いの」と駄々をこねる「手の施しようがない小児病」だと一刀両断にしてみせた。

 かつて、ジャーナリストの斎藤貴男氏も朝鮮や中国、女性や障害者を口汚くののしる石原都知事に対し「小皇帝」の名を被せて、批判した。

 見渡せば、まさに「小児病」や「小皇帝」ばかりの面々。彼らは公共の電波や活字をジャックして、ゆがんだ言説を撒き散らし、人々の判断を誤らせている。政治や言論の責任はとてつもなく重大である。

 その重さを自覚しない妄言がまた出た。麻生外相である。3年前も「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言し、北南朝鮮の激しい非難を浴びた。今度のは「台湾の教育水準が高いのは、日本のおかげ」だというもの。この御仁の頭の中には、1世紀以上前の征服者のままのゆがみきった歴史観しかない。

 まったく、恥知らずとしかいいようがない言動である。2年前、福岡に取材にいった折、地元の郷土史家たちは、異口同音に外相の家業の麻生炭鉱こそ、「戦前、最も悪逆非道な炭鉱主」だったと指摘していた。

 強制連行してきた朝鮮人を奴隷のように働かせ、落盤事故などで最も多くの朝鮮人労働者の命を奪ったのも麻生炭鉱であったと。彼らをボロ雑巾のように打ち捨て、一銭の補償金も支払わなかった。

 他民族への身の毛のよだつ加害史に対して、開き直るのではなく、まず、「申しわけなかった」という気持ちを持つこと、それが人間というものだろう。(粉)

[朝鮮新報 2006.2.11]