「人民ナンピョン」−家事に対する姿勢 |
最近、身近な人たちが次々に結婚した。先輩夫婦の話を聞くと、「うちの夫は子どもの面倒をとてもよく見てくれるので助かる」。一方、ある新婚夫婦は、「夫が手伝ってくれるとかえって面倒だから家事は私がやっている」と言う。 「手伝ってくれる」というのは、妻の仕事を夫が手伝ってくれるという意味ではないか。 数年前の話になるが、ソウルに住む友人と「人民ナンピョン(夫)」について話し合ったことがある。南では「民主ナンピョン」というそうだが。 彼いわく、「家事は夫婦がともにしなくてはならないもの。本物の民主ナンピョンとは、各自が主体となり家事をすること」。 家事に対する認識の差のために、夫婦間で「ささいなこと」として胸の中にしまっておいたことが、後に葛藤の材料として現れる場合がたくさんある。 結婚から3年たった今、彼は「率直に言うと、うちの場合もやっぱりそんな問題があった」と告白する。 「頭では家事に対する認識、家事分担を認めて、受け入れようとしたけれど、30年あまりも社会的に、家庭的に、身につけてしまった習慣はそうたやすく捨てられないということを、結婚を通じて悟るようになった」 彼が描いた「民主ナンピョン」になるための道のりは、そうたやすくないようだ。 朝高時代の同級生の結婚祝いに集まった友人たちとの会食の席で、隣に座った未婚の男友だちは、「僕も結婚したら人民ナンピョンを目指す!」と決意を固めていた。 社会の大きなうねりのなかで、前世代の暮らし方と現代のそれとでは、個人差こそあっても、変化が表れているのは確かなようだ…。(潤) [朝鮮新報 2006.1.23] |