まさに「予想通り」だった。金英男さんの記者会見のことではない。会見に対する日本マスコミの反応である。その兆候は再会実現の前からあった。とくにテレビなどでは今回の再会が「北朝鮮内」で行われるとして、自由な発言のできない雰囲気になるだろうことを、ことさら強調していた
▼案の定、再会実現の後は「北の思惑は何か」「仕組まれた再会劇」の視点で番組が作られ、記事が書かれていた。映像が急に変わったからと、「公開されてはいけない人物が映っていたのではないか」と推測≠オ、「南の記者が7人しか入れてもらえなかった会見場に、なぜこんなに人が多いのか」と憶測≠流す。では聞きたいが、日本でも番組を制作する際に不必要な映像は編集しないのか。人数が多いというが、会見場には当然北の記者たちもいたはずだ
▼初めから結論ありきの報道ばかり。コメンテーターもそれをバックアップする発言が目立った。経緯がどうあれ、28年ぶりに肉親が再会したことに対し、素直に「良かった」という発想が最初から欠落していた
▼やれ背広や時計が体に合ってない、子どもが腕時計をしているのは不自然だなどなど、あら捜し以外のなにものでもない。問題は、こうした報道によって拉致問題が解決に近づいているかということだ。その答えは、いみじくも今回の金英男さん家族の再会実現から得られるのではないか
▼拉致問題を解決するために、今回の金さん家族再会から何を学ぶべきか−そんな視点での報道が一つくらいあってもよかったと思うのだが。(聖) [朝鮮新報
2006.7.1]
|