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4月。新年度である。都心の桜もほぼ満開になった。しかし、おやっと思うのは桜の開花時期に梅の花が散らずに残り、加えて花木蓮、連翹、椿が咲き、水仙、ヒヤシンス、さらには沈丁花と、例年なら時期がずれる花々がいっせいに咲いていることだ。だからといって、異常気象だとひとくくりにできないところが自然界の有り様だ ▼芽が出て葉をつけ花が咲き、散って実をつけ、そして休眠に入る。翌年の開花に備えるのである。このように、自然界の摂理はわかりやすいし、その順序が変わる事もない ▼われわれ人間、霊長類を除く動物も同じようである。生の営みを自ら変える事はない。愛犬は、愛情を注げば注ぐほどその愛情に応えようとする。人を慰めもするし癒しもする。まさにパートナーになりえる ▼では人間社会はどうか。いや今般の日本の社会と区切るほうがよいだろう。改革という名の、古いものを悪と決め付けた秩序、構造の破壊。そのことによって、特定の一部の者だけがますます富み、逆に弱者は一方的に切り捨てられる新たな秩序、構造が作られてしまった。舵を取る人間の独りよがりな思い込み、浅はかな知恵だけで事を処理しようとすればこんなことになるという教訓を得る。聞く耳を持つという、初歩的な作業を忘れてしまっているのだから、悪夢を見ているとしか思うほかない ▼朝鮮に対する圧力の度合いを強めれば強めるほど譲歩するだろうという滑稽な論理がまかり通り、真顔で語られるようになる。自然界とは違って今の日本社会、異常な思考の中にある。(彦) [朝鮮新報 2006.4.1] |