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春・夏・秋・冬

 北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)が来月1日、南から北に引き渡される。豊臣秀吉の侵略による壬辰倭乱の際に義兵を起こして戦った鄭文孚(チョン・ムンブ)将軍の功績と将兵らの戦功を記録した同碑が、日本の植民地支配からの独立を目指して全土が立ち上がった「3.1独立運動」記念日に引き渡されるのは、何とも象徴的だ

▼13日、北の朝鮮仏教徒連盟と南の北関大捷碑返還推進委員会の金元雄共同委員長(開かれたウリ党議員)らが開城で引き渡しの合意書に署名した。これで露日戦争の際に日本の軍人によって持ち去られ、靖国神社に放置されていた碑が、100余年の時を経て故郷≠フ地に戻っていく。北南がサインした合意書にも、「南と北は日本から100年ぶりに取り戻したわが民族の文化遺産」だと明記されている

▼北関大捷碑が日本からいったん南に引き渡されたのは昨年10月。その後、国立博物館などで展示され、南の市民の目にも触れた。そのうえで、北に返されることは感慨無量だ

▼先日の朝・日国交正常化会談に参加した朝鮮代表団長の宋日昊外務省アジア局副局長は本紙とのインタビューで、過去の清算の内容について3つに分けて述べたが、その3番目として「略奪した文化財の返還」をあげている

▼北関大捷碑も、ある意味では日本帝国主義者が朝鮮から奪ってきた文化財にあたる。今回はそれを北南の力で取り戻した。長い年月はかかったものの、今回の返還はさまざまな意味で意義ある出来事だ。開城で行われるセレモニーが今から楽しみだ。(聖)

[朝鮮新報 2006.2.18]