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若きアーティストたち(38)

新人作家・趙奈美さん

「常に朝鮮語で考え、書きたい」と語る趙さん

 「作家としてはまだまだひよっ子」と、趙奈美さん(27)ははにかむような表情を浮かべる。彼女の短編小説「ウリマル(私たちの言葉)の時間」は、昨年、 総連結成50周年記念文学および歌謡作品コンテスト(主催=在日本朝鮮文学芸術家同盟)、散文部門で1位に選ばれた。作品は朝鮮の文学芸術出版社から発行された、 総連結成50周年記念文学作品集「祖国は母」に収録された。

 内容は、大学時代に友人とともに行った中国旅行をモチーフに、在日3世の若者が異国の地で朝鮮語を通じて自分の主体性を確認するというもの。金允浩・文芸同中央顧問は、「小説分野においても若い世代が頼もしく育っているということは、在日朝鮮人文学の明るい展望を見せてくれるもので非常にうれしい」と評価した。作品は、本紙(朝鮮語版)文化欄にも数回に分けて掲載され、「いろんな人からたくさんの反響があった」と趙さんは言う。

 趙さんが小説を書きはじめたのは大学2年生のときから。「文学部のゼミで小説の創作に取り組んだ。3カ月に1回作品を発表して、参加者全員が講評する。推敲と講評を繰り返して作品を完成させた。詩、随筆、雄弁原稿ほか、大学時代に4編の短編小説を書いた」。

 卒業後は高級部の国語教師として生徒の作文指導に情熱を傾けたが、体調を崩して1年間の休職を余儀なくされる。「16年間民族教育を受けて教師までしたのに、自宅にいると朝鮮語をどんどん忘れていく」。不安を感じた趙さんは意識的に朝鮮語の本を読み、友人や教え子たちに朝鮮語で手紙を書き、年1回発行される朝大文学部学級同窓会の会報製作を引き受けるなど、朝鮮語に接する努力をした。

朝鮮と在日の詩人、作家とともに(中央が趙さん)

 また、文芸同の一員として祖国を訪問し、名だたる作家から小説を書くための指導を受けた。後日、1位に輝いた作品が収録された本を祖国の先生に手渡したとき、「先生は作品の反響にとても関心を寄せておられた。そして、『あの作品は在日だけではなく、祖国の青年も、ほかの海外同胞青年たちも共感できるもの』と高く評価してくれた」。

 趙さんは在日3世である自身の体験から、「私たちは異国で生まれたことを口実にしているところが多々ある」と考える。「でも、現実には一歩外に出れば、どこで生まれたかはあまり重要ではないと中国で感じた。どこの国の人か、どの民族の人か、それを判断するために言葉を聞く。物売りに日本語で話しかけられたら無視し、言葉が通じないふりをする。すると英語で話しかけてくる。コリアンと言ったら片言の朝鮮語で話しかけてくる。そんな出来事を通して、言葉の大切さと、言葉が持つ意味を実感した」。

 「祖国で生まれたからといって誰もが小説を書いたり、民族楽器を演奏できるわけではない」という趙さんは、「私が朝鮮語を使って文学作品を創作するという行為には、私1人の力ではなく、たくさんの先生方や同胞たちの努力が込められている。朝鮮語での創作は確かに難しいけれど、とても価値のあることだから、もっともっと勉強して、より多くの人に読んでもらえる作品を手がけたい」と熱く語った。(金潤順記者)

 ※1979年生まれ。東京第8初級、北陸初中(中級部)、愛知中高(高級部)、朝大、文学部卒業。愛知中高高級部国語教師を経て、04年から朝大教務課勤務。00、04年文芸同の一員として祖国を訪問し、祖国の作家の指導を受ける。05年 総連結成50周年記念文学および歌謡作品コンテスト、散文部門で短編小説「ウリマルの時間」が1位に選ばれる。同作品は現在、「朝鮮少年」で連載中。

[朝鮮新報 2006.6.28]