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日本政府は真の償いを

国賠訴訟全国原告団協議会会長 谺雄二さん

 今も社会に根深く残るハンセン病への差別と偏見と闘う。ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会会長として、東奔西走する。

 東京で先日開かれたハンセン病シンポでも「旧植民地のハンセン病元患者たちの被害回復がなされないかぎり、日本のハンセン病問題の解決はありえない」と指摘。そのうえで、日本よりさらに過酷な状況に置かれ続けてきた彼らへの、日本政府の謝罪と補償が実現するよう、支援すべきだと訴えた。

 自身は39年に7歳で、強制収用所の全生病院(現在の多磨全生園)に入れられ、子どもにも課せられた包帯、ガーゼの再生作業などの強制労働に追われた。さらに同病の母や兄が体調を崩すたびに、その介護に当たった。

 劣悪な環境のもと、治療も受けられなかった母は、一さじの重湯すら与えられず、敗戦の3カ月前に、餓死同然に息絶えたという。兄は48年に死去。ハンセン病の特効薬プロミンが開発されたのは翌49年だった。

 この深い悲しみと怒り。谺さんはそれ以降の苦難の半生を、この時の思いを胸の奥底に刻んで生きてきた。

 「韓国の被害者たちも同じだと思います。日本政府は、旧植民地のすべての元患者たちの苦しみに真しに向き合って、賠償責任を果すのはもちろん、現在の生活の状況改善のために努めるべきです」

 谺さんは半生を振り返りながら、「人生を踏み躙られてきた彼らが生きてて良かった」と思えるようになるまで、共に闘い続けたいと力強く語った。

[朝鮮新報 2006.1.31]