作家の辺見庸さん 東京で講演会 最後まで侵略戦争に反対する |
「小指の先から一滴でも血を流す覚悟で」
作家の辺見庸さん(61)が、4月27日夕、東京都千代田区の毎日新聞東京本社で「憲法改正にどこまでも反対する」(毎日新聞社出版局主催)と題する講演会を行った。北海道から九州までの各地から詰めかけた聴衆500余人が熱心に耳を傾けた。 辺見さんは04年3月、新潟での講演中に脳出血で倒れ、05年暮れから今年1月までガンの治療で入院。死にも直面した辺見さんは2年1カ月ぶりとなる公の場で「戦後最大の恥辱が03年12月9日の自衛隊のイラク派兵を閣議決定した03年12月9日、小泉首相が記者会見して『国家としての意思』を語った日だ。反動の波動の速度が速まり、人間の内側の自由が狭まれる中、ファシズムへの傾斜を諾うことができない」とキッパリと語った。 小泉首相はこともあろうに自衛隊のイラク派兵の根拠を憲法前文に求めただけでなく、「日本国の理念」「国家としての意思」「日本国民の精神」が、いままさに「試されている」と述べた。このできごとについて辺見さんは「小泉首相は憲法破壊者であり、まさに、どろぼうが防犯について教えることと同じだ」と断じた。
さらに辺見さんは、小泉首相の話を直接聞いていたのは、各新聞社の政治部記者たちであった、と指摘しながら、「首相のデタラメな憲法講釈に対して、誰かが手を挙げて、『総理、まちがっているじゃないでしょうか』と指摘しただろうか。彼らは立派な背広を着た糞バエだ」と怒った。 そして、「万能の護符」のごとく「護憲」を唱え、何にも闘わない護憲学者たちや、「戦後、憲法9条の下で、他国の人を一人も殺さないで済んだ」と思い込んでいる記者たちを強く批判した。 「ソウルで朝鮮戦争の戦争記念館を訪れたことがある。あらためてその規模の大きさ、悲惨さ、歴史的重大さを気づかされた。日本敗戦から間もない50年から53年までに起きた戦争で、350万人もの死者、行方不明者が出たといわれる凄まじい戦争だった。平和憲法の下で、横田基地はじめ日本各地の基地から飛び立ったB29が北朝鮮を最後まで空襲、空爆した。朝鮮のハルモニたちの頭上に爆弾が落ちたのだ。朝鮮戦争やベトナム戦争で誰が金儲けをしたのか。距離的にどんなに近くても、朝鮮戦争では本格的な戦争反対運動が日本で起こらなかった。チョムスキーにインタビューをした時に『あなた方は真の戦争犯罪人ヒロヒトを批判したことがあるのか』と厳しく問われた。『もし、憲法を変えるなら由々しいことであるが、しかし、50年にわたって日本がアジアでの戦争に貢献してきたことに比べたらささいな問題だ』と」 辺見さんは「小泉首相はマスコミとわれわれがこしらえたフィクションである」と指摘。有事法制にも反対せず、イラク戦争反対にも起ち上がらずただ「護憲」を言うだけなら、犬でもネコでもハムスターでもできる、襤褸切れのように壊され、破壊された憲法を前にして、「小指の先から一滴でも血を流す覚悟」で、人々に戦争反対を訴えていくべきだと語った。
講演の中で、辺見さんは何度も「人間の恥辱」について語った。テレビのバラエティー番組で、みなが一列に並んで世の中についてコメントする風景、国会議員らが朝から晩までくだらない話をする国。「かつてアジアの人々に到底癒しがたい恥辱を植えつけ、そうすることによって自らも深い恥辱の底に沈んだこの国はもはや、恥辱とは何かについて考える力さえ失いつつある。みなが恥辱まみれでいれば恥辱なんかないのだ」と語った。 さらに、この国では、人として当然憤るべきことに抵抗したり、必死でまじめに怒ると、嘲ったり、含み笑いをしたり、冷笑、譏笑、嗤笑、憫笑…する声が聞こえてくると述べながら「しかし、最後まで侵略戦争に反対する、死ぬギリギリまで生にしがみつき、地を這ってまで生きたい」と力強く語った。 3時間にも及ぶ講演が終わると、立ち見も出た会場からは嵐のような拍手が鳴り止まず、惜しみない共感が寄せられていた。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2006.5.19] |