〈拉致問題を問う〜対話と圧力〜@〉 脅しの構図を肥大化 |
絡む「過去回避」と米の要求 日本人拉致問題に関連し日本政府や政界関係者たちがいま執拗に喧伝している「対話と圧力」ほど奇妙なものはない。たとえば次のような状況下の「対話」とは何か。 今月11日から8月25日にかけ海上自衛隊はハワイなどで米海軍と大規模な共同軍事演習を行う。ここに米軍の主導する、とくに東アジアにおける紛争をにらんだ環太平洋合同演習(リムパック)を組み込み、しかも米空軍、陸軍および航空、陸上自衛隊が連動する。日米合同軍事演習は昨年の日米安全保障協議委員会(2プラス2)における在日米軍再編(Transformation)に関する合意以降、いまやほぼ日常化したといってもさしつかえないほどになり、5月1日のいわゆる2+2最終合意を踏まえて日米の同体化の作業は明確に「新たな段階へ入った」が、ひときわ注視すべきなのはこれらの連綿と続く演習が当然のことながらゲームではないこと、つまり現実に北東アジアの大流血事態を誘おうとするものだという点である。それは同時に「フォールイーグル」や「乙支・フォーカスレンズ」などといった朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)侵攻を根幹に据えた米韓合同軍事演習と連携、一体化し、朝鮮を大量の核爆弾で囲い込んでいる。
で、あらためて問いたい。核爆弾を振りまわしつつ、あまつさえ「先制攻撃」を声高に叫ぶ者たちの唱える「対話」とは何か。まさに虚偽だ。ようするに「対話と圧力」は実態に即して正確にいえば脅しそのもの。彼らの「対話」は口先三寸の虚飾用語と受け取れなくもない。それにしても、「拉致」運動が問題解決へ向かう脈絡から急速に逸脱して、肝心の解決を完全に途絶させるこの脅しの構図をひときわ肥大化させている逆走光景はなんともおぞましい。 いまもっともたいせつなのは「圧力(脅し)」を除去すること。それによってはじめて「対話」をいきいきとした現実的なものにし問題解決へのステップを踏むことができるというきわめてまっとうな認識と行動である。しかし、くだんの政治家たちを含む運動関係者たちはすでに平然と逆走を演じている。なぜか。拉致問題を複雑化させることで「危険な北朝鮮幻想」を膨張させ、これにより果実を手にすることができるからだ。 そこでは、拉致騒動を利用してのしあがるというふうな赤裸々な私欲をひとまず脇に置くなら、たいていふたつのインセンティブが絡み合っている。ひとつは日本固有のプロセスであり、もうひとつは米国からの要求と米国への追従のセットである。 日本固有のプロセスとは。冷戦崩壊を経てとくに90年代半ばから顕著になった北朝鮮包囲(脅し)を仮に横軸とするなら、ここに深く突き刺さっている縦軸というべき、61年間にもわたって固く目をつむり続け、あまつさえ折に触れ開き直ってきた侵略と戦争の責任回避問題である。なぜ、かくも長い醜悪な日々を刻むことになったのか。戦前と戦後の日本の政治支配層に断絶がなかったからだ。たとえば戦後の首相のほとんどが戦前から特権を享受していた者の系譜に連なるか、これにぶらさがり、いまだに、次期首相と目される有力政治家の多くがその典型である。つまり代を継ぎ延々と特権を抱え込んできた政治支配層がもっとも鋭く過去責任について迫る北朝鮮≠アそ自分のレーゾン・デートルを否定するやっかいな存在だとみなしてもけっして不思議ではないのだ。 拉致問題はそんな彼らにとって格好の反撃材料になったと思われるが、いずれにしろ、同事件が戦後の日本の政治支配層のつくりあげた日朝の不正常関係ゆえに、なかんずく冷酷な北朝鮮包囲ゆえに引き起こされている側面も看過するわけにはいかないのではないか。むろん事件の全過程を明確にする必要がある。とともに日本固有の自省なき戦後プロセスを、ほかならぬ日本自身が見直す視点をけっして欠落させてはならないのだ。 にもかかわらず、なんと「拉致」を足がかりにし、米国に手を引かれて日本政府はとんでもない方向へ走り、高まる「対話と圧力」の合唱を利用してその総括へ入ろうとしている。有事法制から2+2合意へ、さらに今国会の教育基本法改正、憲法改定のための国民投票法制定などの作業はすべて拉致問題もしくは危険な北朝鮮という白昼夢を主要なテコにして進められてきたのだった。これらは当然、日本列島に住む者たちをことごとく縛り、かつての虐殺過程を再現させる鉄鎖として機能するが、それを補強するための仕組みのひとつがたとえばいま国会で「犯罪の国際化および組織化ならびに情報処理の高度化に対処するため」との名目で創設しようとしている、犯罪に関することを話し合っただけで罰し、おまけに密告を奨励する法律、すなわち共謀罪である。これは刑法などの「一部」を改正するだけだという。しかし、残虐体系は突如出現しない。戦前の治安維持法ですら、関東大震災などの衝撃を利用、社会不安の除去などの大音声を背に生まれ、改変を重ねて、ついに極悪の法体系として君臨したのだった。 拉致問題はもはやとてつもない日本問題へすり替えられている。(野田峯雄、ジャーナリスト) [朝鮮新報 2006.5.11] |