京都、滋賀 「朝鮮学校を支える会」の立ち上げの集い 「子どもたちの笑顔続く社会に」 |
京都府と滋賀県下の朝鮮学校5校との交流、支援を広げようという「朝鮮学校を支える会・京滋」(以下、「支える会」)の立ち上げの集いが15日、京都朝鮮中高級学校(左京区)で行われ、学校関係者と日本市民ら100人以上が参加した。集いでは呼びかけ人らが立ち上げの主旨と活動計画について説明し、学校関係者とオモニたちが学校の現状について訴えた。 夫婦で日朝友好運動に
「朝鮮学校の子どもたちの笑顔が続く社会こそが私たち日本人が住みやすい社会なのです」 「支える会」呼びかけ人の末本雛子さん(日朝友好促進京都婦人会議)は日朝友好運動に生涯を捧げ、共に朝鮮学校の処遇改善のためにたたかってきた亡き夫、徹夫さんの言葉をアレンジしてこう語った。 昨年、朝鮮学校の運動会に妹を連れて行った。子どもたちが元気に走り回る姿を見た妹は「この子たちがどうしてここにいるのかを思うと…」と涙を流したという。さらに、舞鶴朝鮮初中級学校の休校の知らせを聞いた。 末本さんは「自分自身に与えられた残り時間を考えたとき、ハッと気づいた」という。 「日朝友好運動33年の総括、そして私自身の生涯の総まとめとして朝鮮学校を支える会を作ろう」。末本さんの呼びかけに多くの人が賛同した。呼びかけ、賛同人には80人以上が名を連ねた(10日時点)。 末本さんとともに「支える会」共同代表に選出された京都造形美術大学の仲尾宏客員教授は「朝鮮学校の存在を知っている日本人は多いが、現状を知っている人はほとんどいない。このような会が必要だと思っていた。呼びかけに多くの人が賛同してくれてうれしい」と語った。 寄付金、書籍、学校側に
集いでは賛同金と募金の合計70万円と、故末本徹夫さんの遺志を継いで活動している遺族からの寄付金100万円が学校側に手渡された。また、書籍も寄贈された。 集いでは活動内容が決まった。朝鮮学校との交流、学校のベルマーク・プルタブ収集運動の支援、寄付、行政などへの要請活動などを行っていく。 京都中高の金允善校長は「京都で民族教育が始まって60年を迎える今年、このような会が設立されたいへん意義深い。より幅広い日本人に朝鮮学校と民族教育に対する理解が深まれば」とあいさつした。 滋賀朝鮮初級学校に3人の子を通わす同校オモニ会会長の梁京玉さんは、学費の負担が大きく給食やサッカーボールに至るまですべて保護者の力と同胞の支援でまかなわれている現状を説明し、「民族のアイデンティティをもって生きてほしい−それだけが親の思いなのに、在日ということだけで学ぶことすらままならない。日本の子どもたちと同じように学べるようにしてほしい」と訴えた。 苦しいとき、いつも協力 集いに先立ち、映画「朝鮮の子」が上映された。映画は1940年代後半から50年代初頭の朝鮮学校と在日朝鮮人の様子を追ったドキュメンタリー。ボロボロの校舎で夢と希望にあふれ朝鮮語を学ぶ子どもたちの笑顔が映し出される。だが場面は一転し、朝聯解散、朝鮮学校閉鎖の場面へと。 映画を見たある日本人は朝鮮学校への弾圧、在日朝鮮人に対する差別が「この(映画の)時代と今と、本質的に何も変わっていない」と嘆いた。 しかし、もう一つ変わらないものが映画の時代と現在に共通して存在した。苦しいときにいつもそばで協力してくれる日本人の存在である。 反朝鮮、反総連騒動が吹き荒れる中、この日も朝鮮学校と子どもたちを思いやり、呼びかけ人らの予想を2倍も3倍も超える日本人が駆けつけてきた。 京都大学の水野直樹教授は「子どもの教育は当然の権利。国際関係とは別に保障すべきだ。日本で民族教育ができるように制度的に改善していかなければならない。そう願う日本人も少なくない」と語った。 京都中高オモニ会会長の許福美さんは「子どもたちのために多くの人が立ち上がってくれて、感謝の気持ちしかない。そんな人たちの熱い気持ちに応えるためにも、民族心をしっかり持った子どもたちを育てていきたい」と語った。(李泰鎬記者) [朝鮮新報 2006.4.20] |