top_rogo.gif (16396 bytes)

「植民地下のハンセン病」シンポ 日本の絶対隔離政策の狂気問う 犯罪性、加害性の徹底追及を

 既報のように1月21日(市民学会シンポ=東京都東村山市・多磨全生園)と22日(日本、南、台湾共同シンポ=明治大学)、旧植民地、旧占領地のハンセン病問題とハンセン病隔離政策からの被害回復を目指して開かれた二つのシンポでは、日本国家の行った絶対隔離政策の「狂気」とその根源を問う厳しい意見が相次いだ。

ファシズムと一体化

「旧植民地、旧占領地のハンセン病問題」シンポには、雪のなか多くの市民がつめかけた(1月21日、多磨全生園)

 なぜ日本では19世紀末期から、「患者撲滅政策」が推進されるようになったのか。「民族浄化」の名のもとに、ハンセン病と診断されたすべての者を強制的に収容、終生隔離したうえに、断種、堕胎させ、収容の徹底を図るために「無らい県運動」が組織され、隣人までも「患者」あぶり出しに動員される仕組みが作り上げられた。

 神美知宏・ハンセン病市民学会共同代表は「日本国内でも一家心中、一家離散、自殺などは枚挙にいとまがなく、そのことを通して、病気に対する社会の偏見、差別がいっそう助長された」と指摘した。そのうえで、日本の植民地統治下にあった朝鮮半島や台湾、旧占領地下での差別構造は、より凄まじいものがあったと述べながら、この問題の真相究明なしには、真のハンセン病問題の解決はありえないと強調した。

 また、平沢保治・多磨全生園自治会長も「戦前のファシズムと一体不可欠の隔離政策を、日本は侵略した国々に強制した。敗戦後60年が経っても、日本はその過ちを謝罪せず、償っていない。韓国の療養所を訪ねた時も、70歳を過ぎた元患者から両親を日本軍に殺されたと聞かされた」と語った。さらに同氏は、「日本で、再び戦争をやろうという動きが高まっている」と強い懸念を表明し、「ハンセン病と闘った私たちは、日本の過去の過ちを伝え、真の平和福祉国家を作るために挺身すべきである」と力強く語った。

 01年の熊本国賠訴訟判決後に作られた元ハンセン病問題検証会議の金平輝子・元座長は、「日本国内よりもさらに過酷な隔離政策が取られた旧植民地の国々の被害の実態を歴史の中に封印させてはならない。患者への強制隔離、強制断種、強制労働の凄絶な実態を究明し、戦後も長く人権抑圧、抹殺政策が続けられたことを、次世代に広く語り継いでいき、旧植民地、占領地の元患者たちへの謝罪と補償を早期に実現していくべきだ」と述べた。

軍事政権下の虐殺事件

金平輝子・元ハンセン病問題検証会議元座長(右)と鄭根植・ソウル大教授(左)

 元検証会議委員の三木賢治・毎日新聞論説委員は、ハンセン病療養所・全羅南道小鹿島病院の元患者たちから聴取した日帝時代の体験談について語った。

 それによれば、小鹿島では、入所者は直ちに波止場の強制労働に駆り出されたこと、日常的にレンガやカマス作りに動員され、わずかでも反抗的な態度を取るとムチや棒で殴打され、焼きゴテをあてられ暴力的に抑圧され、制裁手段として強制断種が行われた。収容者は慢性的な飢餓状態にあり、療養どころか、早朝から深夜まで過酷な軍事労働を強いられたと指摘した。

 さらに、韓国のハンセン病の実態について鄭根埴・ソウル大学教授が「解放後も軍事政権下で、より排他的な隔離政策が続き、周辺住民による患者虐殺や朝鮮戦争前後の『赤狩り』『左翼退治』の名を借りての集団虐殺が行われた」という衝撃的な迫害の歴史を明らかにした。

 そして、今でも、南の元患者たちが根強い差別の重圧、桎梏のなかで、社会から隔絶され、肉親からも疎まれ、地域の学校や病院から排除され、結婚話をつぶされるなど、人間として耐えがたい痛苦と被害を人生すべてにわたって蒙っている実態について述べた。

 会場から発言したルポライターの鎌田慧氏は「ハンセン病に長年、関心を持たなかった意味において『無関心の犯罪』の罪は大きい。朝鮮半島、台湾の人々への加害責任は重大である」と強調し、次のように続けた。

 「同じ意味において『従軍慰安婦』問題についても何もしないできた。彼女たちが日本軍部に虐殺されたことについても知らずにきた。アジアの被害者たちの苦悩に心を寄せることなくきたことは、まったく恥ずかしいことだ。彼らの受けた被害に目を向けず、私たちは人間らしい社会を築くことはできない。憲法9条を守り、アジアの被害者たちと連帯していくためには、日本が行ってきたハンセン病政策の犯罪性、加害性を徹底的に追及していかねばならない。今こそ、私たちの生き方が問われている」(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2006.2.1]