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元ハンセン病患者の被害回復を 東京でシンポ、南の元患者 被害実態語る、一生をつぶされた

日本の植民地下で強制隔離、監禁、断種

 日韓台共同シンポジウム「ともに生きる〜ハンセン病隔離政策からの被害回復をめざして〜」(主催=ハンセン病小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団)が22日、明治大学駿河台校舎リバティータワー1階ホール(東京都千代田区)で行われた。南朝鮮と台湾の元ハンセン病患者と日本国外施設入所者への「ハンセン病補償法」適用を求めた訴訟の原告側弁護士らをはじめ3地域の元患者、支援者、研究者らが参加。差別や厳しい生活の実態を訴え、被害回復と社会復帰のための意見交換を行った。

植民地では集団虐殺も

シンポで行われたパネルディスカッションでは差別の撤廃、政府の支援などの必要性が指摘された

 ハンセン病の感染率はきわめて低く通院治療で完治する。国際的にも患者の隔離は否定され、欧米では通院治療が一般的だった。

 しかし、日本のハンセン病隔離政策は「ナチスドイツによるホロコーストに比肩すべき国家犯罪」(徳田靖之)であった。ハンセン病と診断されたすべての者を強制的に収容し、終生隔離し、断種、堕胎によってすべての子孫を奪ったうえに、施設運営のための強制労働まで強いた。

 日本の隔離政策は植民地においては、より残忍で過酷に行われた。日本は全羅南道の小鹿島と台湾の台北州新荘にそれぞれ施設を建て、日本国内と同じく強制隔離した。日本以上の凄まじい差別や迫害が行われただけでなく、集団虐殺事件も起きている。

 日本は、患者隔離政策を決定的なものにした「らい予防法」を1931年に制定したのに続き34年、全羅南道南西の高興半島の先にある小鹿島に世界最大規模とも言われている国立更生園(現小鹿島更生園)を設置。多いときで6500人が収容された。日本と同じく終生隔離、強制労働、断種、堕胎政策が行われた。現在約500人が入所しており、うち約100人が戦前からの入所者たち。謝罪、補償を受けることなく亡くなっていった人も多い。

 南朝鮮では、元患者たちが自立し社会復帰するための支援策として「定着村」政策が行われているが、「基本的には放置政策」で、就職も困難で家族からも見放されている。「定着村」の設置をめぐって周辺住民とのトラブルがあり、軍事政権時代には襲撃、殺人事件まで起きた。

「差別構造なくせ」

崔贊秀さん

 シンポでは、今も小鹿島更生園で暮らす原告の一人、崔贊秀さん(78)が筆舌に尽くしがたい苦難の半生について語った。

 14歳でハンセン病を発症した崔さんは1942年、突然トラックの荷台に乗せられ小鹿島に強制収容された。両親とはそれ以来一度も会えなかった。島では、病気の治療も受けられないまま松油取りやレンガ、カマス作りに駆り出された。体の痛みと、家族と引き離された悲しみで眠れない日々が続いた。

 食糧不足で苦しんだ崔さんは、泥のついた大根を抜いて食べた。だがこれが発覚し所員につるはしの柄で何発も殴られ監禁。ついには、病院に連行され麻酔も受けないまま日本人医師に強制的に精管(断種)手術を受けさせられた。

林斗成さん

 「このとき、私の人生、私の青春が終わったと思った。(日本によって)一生をつぶされた」(崔さん)

 日本の誤った政策によって、子どもを育てるという人間らしいささやかな願いさえ断たれた崔さん。「小鹿島には自分と同じような人が多い。日本政府は責任を果たすべきだ」と強く迫った。

 「定着村」での差別、偏見の実態について報告した元患者でハンピッ福祉協会会長の林斗成さんは、「今でも元患者が(他の病気の)治療を拒まれるケースがある。ハンセン病をわい曲し人々に恐怖を与えた日本は、元患者たちに謝罪すべきだ。そして根深い差別構造をなくし、元患者たちが社会の一員として安らかに暮らせるよう努めなければならない」と語った。

すべての実態明らかに

 厚生労働省は23日、日本国内の施設入所者と同じ枠組みで日本国外の施設入所者を救済することを決めた。国内同様一人あたり800万円が補償される。補償請求弁護団はシンポジウムで受け入れを表明。しかし、この措置は侵略と植民地支配の犠牲者に対する日本国家の根本的な責任はあいまいにされたままである。

 さらに、朝鮮半島北部での被害実態は明らかになっていない。日本の敗戦時、小鹿島から引き上げる軍人、所員らは関連書類をほとんど焼却したと言われている。患者らの暴動を恐れ虐殺が行われたという証言もある。北部での被害がいまだ闇の中に包まれている可能性は否定できない。

 朝鮮人強制連行真相調査団朝鮮人側中央本部の洪祥進事務局長は「日本は過去の重大な過ちを正し、植民地支配したすべての国と地域での実態を明らかにすべきであり、そのうえで謝罪と補償が行われるべきである」と語る。(李泰鎬記者)

[朝鮮新報 2006.1.26]