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〈論調〉 日本軍国主義者は百年来の敵

 今から131年前、日本軍国主義者が朝鮮王朝政府を屈服させ、「江華島条約」を強圧的に締結する目的のもとに起こした「雲揚」号事件は、日帝の武力による朝鮮占領の序幕だった。

 19世紀後半期、後進資本主義国家として登場した日本は朝鮮征服ドクトリンである「征韓論」を唱えながら、朝鮮を侵略の実現に取り組んだ。

 日本軍国主義者はその第1の工程として、1875年5月に侵略船「雲揚」号を釜山港に侵入させた。

 日帝はそれを「定期的な演習航海」であるとして、「雲揚」号の不法侵入行為を正当化した。

 同年9月、日帝は「航路測量」という口実のもと、「雲揚」号を江華島沖に侵入させた。
 侵略船「雲揚」号は、朝鮮側の即時撤退要求に応じる代わりに、水が切れたという口実のもとに江華島の草芝鎮砲台にまで引き続き前進した。

 それは、日本政府から事前に朝鮮に対する軍事偵察任務と江華島攻撃任務を受けてきたからである。

 当時、江華島の草芝鎮はわが国の重要な要塞で、どの国の艦船も事前許可なしには出入りできない所となっていた。

 にもかかわらず、日本の侵略者は江華島の草芝鎮砲台の近くにまで接近した。

 江華海峡と草芝鎮を守っていたわが国の守備兵は、日本の侵略者を撃退した。

 すると、日帝侵略者は待っていたとばかりに草芝鎮砲台に猛烈な砲撃を加え、数多くの罪なき住民を殺りくした。

 憤激した朝鮮守備兵は猛攻撃を加えて侵略者を追い出した。

 日帝はこれに「朝鮮側が日本に対して敵対行為を働いた」と言いがかりをつけ、1876年にまたもや7隻の軍艦に800余人の侵略兵力を乗せて江華島に侵入し、艦砲を撃ちながら李朝封建政府を威嚇、恐喝し、2月27日には「朝日修好条規」(江華島条約)を強圧的につくり上げた。

 日帝はこの「条約」を利用して朝鮮に侵略の黒い触手を深く伸ばした。

 その後、1905年に「乙巳5条約」をねつ造し、朝鮮を武力で占領した日帝は40余年間、類例なく苛酷な植民地ファッショ統治を実施し、朝鮮人民にはかりしれない不幸と苦痛、災難を被らせた。

 植民地支配期間、日帝は不足する人的資源を補充するために840万余人におよぶ朝鮮の青壮年を強制連行、拉致して奴隷労働を強要し、戦争の弾除けに利用した。また、20万人の朝鮮女性を強制連行、拉致、誘拐して日帝侵略軍の性奴隷につくり、自分らの醜悪な罪過を隠ぺいするため彼女らの大部分を虐殺する蛮行を働いた。

 植民地支配期間、日帝は朝鮮人民が創造し、祖先代々譲り受けた数多くの貴重な国宝および文化財を略奪し、わが国の天然資源と生産物をことごとく略奪した。

 日帝は朝鮮民族の言葉と文字、姓と名前まで強制に奪い、固有の民族的風習までなくそうと狂奔した。

 実に、「雲揚」号事件から始まった朝鮮に対する侵略と植民地化、恐怖政治、狡猾な文化統治、人的、物的資源略奪、朝鮮人に対する野蛮な弾圧と虐殺、民族文化抹殺策動など、過去に日本が犯した罪は枚挙にいとまがない。

 日本軍国主義者の侵略的本性は過去も現在も少しも変わっていない。

 こんにち、日本軍国主義者は海外ぼう張野望に浮かれ軍国主義を鼓吹しながら朝鮮再侵略の刃を鋭く研いでいる。

 日本軍国主義者こそ朝鮮民族の不倶戴天の敵、百年来の敵である。

 朝鮮民族は日本の過去の罪を必ず決算するであろう。(労働新聞20日付論説)

[朝鮮新報 2006.9.28]