〈平壌からの報告−日本の企業メディアに映らぬ朝鮮像〉 南北の呼吸はバッチリ |
民族まるごと「拉致」の解決を
4月30日から5月5日まで、「日朝友好のつばさ」で朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)を訪れた。今回は、2001年9月に「ピースボート」で行って以来、2度目の訪朝だった。 日本の企業メディアの報道からは、朝鮮の本当の姿は全く見えてこない。いまだに「悪の枢軸」で貧困の底辺にあるような朝鮮像を垂れ流しているからだ。実際に見た朝鮮は米日の敵視政策にもかかわらず、「苦難の行軍」を経て、団結をして力を盛り返したという印象だ。5月1日のメーデーは、大城山はバーベキューを楽しむ平壌市民であふれかえり、焼肉のいいにおいが辺り一面を包んでいた。通訳してくれた対外文化連絡協会の指導員に「5年前に比べて、食糧事情が大分よくなったように感じる」と感想を漏らすと「昨年から、食糧事情が改善された」という答えが返ってきた。
南北融和も確実に進展している。メーデーには、韓国・全国民主労働総連盟の団体数百人が平壌を訪れていた。しかし、なんといっても開城工業団地が最も象徴的だった。北の人と南の人が一緒に働いている。工業団地内にはファミリーマートや韓国の銀行もある。開発の資本は韓国であり、マネージャーや技術者は韓国人であるが、労働者の大部分は朝鮮の人だ。「統一靴」を生産している三徳通商株式会社のマネージャーに「一緒に働いてどうか」と質問したら「呼吸はバッチリだ」という答えが返ってきた。この現実を見て、統一も時間の問題では、という希望を持った。
平壌滞在中の5月4日、「祐天寺遺骨問題」の遺族である金元經さんと、長崎で被爆した朴文淑さんらに聞き取り調査した。金さんの父ジョンピョさんの遺骨は、東京・祐天寺に仮安置されたまま返還されていない。ジョンピョさんは、1944年に強制連行された。解放後、行方がわからなかったが、04年になって、44年12月30日にインドネシアセレベス島(現在のスラウェシュ島)で「戦死」しており、遺骨が東京の祐天寺にあることがやっとわかった。「04年の11月末に日本に行く予定だったが、通訳などの随行員は日本政府からビザの発給を拒絶された。理由の説明はなかった。私も結局行くことができなかった」「一緒に行く予定だった金ヨングルさんの父の遺骨はなかった。骨箱はからっぽだった。箱はあって名前も書いてあったが、中には何も入っていなかった」と金さんは続けた。 45年8月9日、長崎で爆心地から4キロ地点で被爆した朴文淑さんは、日本政府から何の補償もされていない。幼い頃から後遺症に悩み、40代をすぎてからは、心臓系統の病気によって薬を常用しなければ生活できない状態だという。「99年6月に亡くなった母と兄は、『日本から何の補償もなく死んでいくのは悔しい。お前は最後まで戦って必ず日本政府から謝罪と補償をもらってほしい』と遺言を残した」「朝鮮では被爆者たちに対して、被爆者手帳を出し、手厚い配慮をほどこしてくれる。一方、日本は何もしてくれない。自分の故郷でもない他国で、自分が原爆の被害まで被ったことを考えると、日本の朝鮮侵略に対して怒りを感じる」と涙ながらに訴えた。
日本のメディアは横田めぐみさんの家族のブッシュ米大統領との会見や訪韓をトップニュースで報じる。しかし、過去日本が40年間の植民地政策で朝鮮民衆に対して行った強制連行・日本軍慰安婦なども、想像を絶する民族まるごとの大規模な「拉致」にほかならない。家族の遺骨を解放後60年経っても見つけられない遺族が、何十万人もいると思われる。 5月4日に朝鮮外務省で行われた宋日昊・朝・日国交正常化担当大使と浅野健一・同志社大学教授との面談内容はNHK、時事通信が詳しく報じた。私も面談に同席した。「拉致問題は日朝2国間の懸案だと日本側は主張してきたが、横田さんらによる訪米は、問題を国際化させる目的で行われた」と宋大使は批判した。大使は小泉首相の二度の訪朝を「かつての総理がなしえなかったこと」と高く評価する一方で、安倍晋三氏が次期首相になることは「強硬な姿勢で指導力を発揮するということで、国民的な人気を得ている。しかし、これはまちがえれば、国の歴史に大きな汚点を残す」と牽制した。 6月8日の共同通信によると、朝鮮が韓国人拉致被害者の金英男さんと家族を再会させるとの立場を表明したことに対し、韓国統一省高官が再会について「人道主義に立脚し誠意を尽くした努力が重要」「政治キャンペーンにすれば解決は難しい」と、拉致を政治問題ととらえる日本側との立場の違いを指摘し、拉致問題解決に向けての日韓の協調は難しいとの考えを示したという。 日本が拉致問題を政治問題化し「国際化」することは、日朝平壌宣言の精神に反しており、日本の国際的な孤立化を招くのではないか。日朝国交正常化が、小泉首相の任期中に、平壌宣言という「里程標」(宋大使)に基づいて、さらなる前進を実現することを強く望む。(文、写真=森類臣、同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程) [朝鮮新報 2006.6.14] |