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離散家族再会 南取材団の撤収をどう見る、「拉北」にこだわる必要あったのか

「立場尊重しない自由は相手の自由を侵害」

 6.15北南共同宣言の合意に基づいた離散家族、親せきの再会事業は13回目を迎え、南側共同取材団が途中で撤収するという事態を招いた。

 事の発端は、1969年に行方不明となった「シンソン」号の船員、チョン・ムンソクさん(76)が37年ぶりに南に住む妻のソ・スネさん(66)と再会した場面を報道する過程で、南のマスコミが「拉北」「だ捕」という表現を使ったことだ。

 北側の担当者がこれに抗議し、一時はSBS記者の追放≠要求。22日に南に帰還する予定だった第1陣の再会団が10時間余り足止めされた。最終的に北側はSBS記者帰還の立場を翻したが、南側記者団は23日、全員の撤収を決定した。17人の取材団のうち10人が撤収に賛成し6人が残留を希望したという。

 これについて北側団長は23日、南側団長に対し遺憾の意を表明した。その論旨は、南側が取材活動と関連した北南双方の合意事項に違反し、「拉北」「だ捕」などといった事実とは異なる誹謗中傷に基づく報道をしたというもの。北側は南のマスコミの行為を挑発と見た。

 しかし、南側団長が書面で過ちを認め遺憾の意を表明したため、第2陣再会も続行することにしたという。

 北側団長が「事実とは異なる」とする背景には、この問題に対する北南の立場の違いがある。南側が「拉北者」と判断する人々を、北側は「義挙入北者」と見ている。言い換えれば、「拉北者」「国軍捕虜」は存在しないというのが北側の立場だ。だからこそ、北南の合意に沿って、北側は離散家族再会メンバーに、南側の言う「拉北者」「国軍捕虜」を含めている。

 現在、赤十字会談では彼らを「(朝鮮)戦争時期以後、消息がわからなくなった人」と表現している。

 インターネットサイト「統一ニュース」は25日発で、南北共同宣言実践連帯宣伝委員長のソン・ヒョナ氏の寄稿文を載せた。

 ソン氏はまず、南北の合意に基づき「拉北者」「国軍捕虜」という言葉の代わりに、「消息がわからなくなった人々」という表現を使ったことで、離散家族再会の範囲が逆に広がったと指摘した。「シンソン」号事件にしても、北側が「義挙入北」との立場を表明している以上、今回の件が単純に「用語」の問題にはとどまらないと主張する。

 実際、統一部ではマスコミに対し非公式に用語使用について注意を促し、取材団も事前に報道関連行動指針を立てた。

 北の立場を十分承知しながら、自らの主張だけを優先させるマスコミの態度は「互いを尊重し理解することから出発する統一時代の基本を無視した行為」だとソン氏は厳しく非難している。

 しかも、南の記者は北から取材を制止された場面を見せながらも、なぜ制止されたかの具体的解説はしなかった。「北側が取材の自由を侵害した」と激怒しながらも、なぜ北側が「拉北」を認めないのかについては聞きもしない。ソン氏はそんな点も指摘した。そしてこう結論づけている。

 「相手の立場を尊重しない自由は相手の自由を侵害することもありえる。『取材の自由』を主張して『拉北』という用語に固執した南の記者の態度は『拉北』でないことを知らせようとした北の自由を侵害したのだ」(文聖姫記者)

[朝鮮新報 2006.3.31]