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〈第13回離散家族、親せき再会〉 今年初めて、2陣に分かれ199家族が約700人と

 【高城発=姜イルク、呉陽希記者】第13回北南離散家族、親せきの再会が20日、金剛山で始まった。昨年12月に済州道で開かれた第17回閣僚級会談の合意に基づくもので、今年に入ってからは初めての再会事業。米、南朝鮮軍による合同軍事演習が25日から実施される中、開催が危ぶまれたが、予定どおり行われた。第1陣として、南の99家族が北の家族、親せき239人と20〜22日に再会を果たした。第2陣は、北の100家族が南の家族、親せき430余人と23日に再会。25日まで続く。今年は、6.15共同宣言発表6周年に際した金剛山特別再会事業、6.15と8.15解放記念日に際した特別画像面会事業などが予定されている。

「この手を離さない」と父と息子

56年ぶりに再会したカンさん兄弟と親子

 離散家族、親せきの再会会場。北の家族は南の家族を乗せたバスが到着するのを、窓の外をじっと見つめながら、今かいまかと待っていた。

 バスが到着し、南の家族が続々と降りてきた。咸鏡南道咸興市に住むカン・ジングンさん(79) 、カン・ユングンさん(65)、カン・ミョングンさん(63)は83歳の長兄、カン・ウィグンさんの顔をすぐに発見した。56年ぶりの再会。北に住む兄弟が長兄の消息を知ったのは今年2月中旬。慶尚南道金海市に住んでいることがわかった。ウィグンさんの2人の子どもも北に住む。ウォンギルさん(58)とウォンシムさん(56)だ。

 「亡くなったとばかり思い、毎年法事をしていた」。こう語りながら、弟のユングンさんは兄の手を固く握りしめた。

 ウィグンさんは咸鏡南道高原郡にある林産作業所の簿記長だった。朝鮮戦争が始まると、妻と子どもを連れて栄光郡の山里に避難した。1950年、山里にやってきた敵軍は多くの村人を「アカ」と称して虐殺した。ウィグンさんの消息はその時を境に途絶えた。そのため家族は彼が亡くなったと思っていた。

 80の高齢の身で弟に会いに来たウィグンさんには、従妹のカン・ミョンスクさん(68)が付き添った。

 「私も年をとった」と話すウィグンさん。家族全員が涙した。彼らは離れて暮らした歳月を写真で振り返った。

 「今日はすばらしい日だ」。ウィグンさんの言葉に全員がうなずいた。長男のウォンギルさんは、「この手を絶対に離しません」と、父の手を強く握りしめた。

戦争が離散家族生んだのに

 6.15共同宣言発表後、北南間の人道主義事業は大きく前進した。6.15以前には一回きりだった離散家族、親せきの再会事業も13回を数える。昨年の8.15を機に始まった画像による面会事業の参加者数は1万人を超えた。昨年8月には人道主義問題解決の拠点となる金剛山面会所着工式も行われた。

 今年も引き続き進展が期待される。2月に行われた第7回赤十字会談では、6.15共同宣言発表6周年に際した金剛山特別再会、6.15と8.15を契機とした特別画像面会を行うことで合意した。こうした事業は従来に比べ規模が拡大される。金剛山再会では北南100家族ずつから200家族ずつに人数が増える。特別画像再会の対象人数も、従来の40家族ずつから60家族ずつに拡大される。

 今回の離散家族、親せき再会事業を前にした赤十字実務接触では、同事業を円滑に推進するための対策も討議した。

 このように大きな進展が期待される一方で、人為的障害が造られているのも確かだ。

 北側関係者は、今回の13回再会事業は、軍事演習が行われる状況下では実現不可能だったと異口同音に語る。戦争が離散家族を作り出したのに、一方で戦争の火種となる軍事演習を行うのは論理が合わないというわけだ。

[朝鮮新報 2006.3.23]