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平壌の名物 「平壌鐘」

 平壌の都心を横切って悠々と流れる大同江のほとりには、民族文化遺産の一つである平壌鐘がある。

 歴史の目撃者のように大同門北側に凡丹青(主に木造建築に彩色し装飾したもの)を施した鐘楼内に威厳をもって吊るされている平壌鐘は、行き来する人々の足を止めさせる。

 この鐘が最初に鋳造された時期は明らかでない。

 現在の鐘は、平壌城の北将台にあったものが火災によって壊れ、1726年に本来のものより大きく再鑄造したものである。

 鐘の高さは3.1メートル、口径は1.6メートル、厚さは0.3メートル、重さは13トン.513キロ。

 鐘には仏像、雲様、八卦などの文様と、鐘名などが施されている。

 竜頭は双竜交竜(青竜、黄竜)であるが、その形象は生き生きとしている。

 平壌鐘は、朝鮮王朝時代(1392〜1910)の屈指の大鐘の一つとして文様が美しく、殷々たる音が40キロ離れたところでも聞こえるからといって早くから「平壌の名物」と言われてきた。

 1890年代まで平壌城では、この鐘の音とともに朝(4時)と夜(22時)にすべての城門が同時に開閉され、外敵の侵入と自然災害、そして正月や大慶事をはじめいろいろな出来事も知らされた。

 20世紀初、朝鮮を不法に占領した日帝は平壌鐘が朝鮮民族の象徴であり、その鐘の音に民族の魂が秘められているとして、鐘を打つことは言うまでもなく、近寄ることさえできないようにした。

 1945年8月、祖国を解放した金日成主席は同年の除夜に平壌鐘を打ち鳴らすようにして人民に民族再生の喜びをいっそう増幅させた。(朝鮮通信)

[朝鮮新報 2006.3.8]