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〈月間平壌レポート〉 「青い空」に広がる飛躍の夢

 リバイバルソングのメロディーと共に「飛躍の年」「攻勢の年」の幕が上がった。恒例の労働新聞など3紙の元旦共同社説は、新年を「過去と一線を画する年」と位置づけた。「2006年は、(先軍政治による勝利と成果に基づき)社会主義強盛大国建設で大きな飛躍を達成する全面的攻勢の年」という社説の一節が、人々の心を強く打った。

「戦争のない国」

昨年12月31日に上演された2006年慶祝コンサート「わが国の青い空」

 共同社説の文面から受けた感銘によるものかもしれない。新年を迎えた人々の姿は活気に満ち、平壌の正月風景も例年になく華やかだった。新たな装いの祝賀行事も行われた。国内屈指の芸術団が総出演する新年慶祝コンサート「わが国の青い空」がロングラン上演されている。

 タイトルにもあるとおり、「わが国の青い空」という歌をモチーフに制作された。この歌は元々1980年代の曲。

 「タンポポ花咲く故郷の丘で/白い凧上げ遊んだ日々/無邪気に見上げた青いあの空が/祖国の誇りだとなぜ知らなかったか…」。この素朴な歌詞が高い評価を得ている。

 「わが国の青い空」は国内初の「軍民ジョイントコンサート」だ。朝鮮人民軍功勲国家合唱団、朝鮮人民軍協奏団などの「軍人芸術家」たちが万寿台芸術団、国立交響楽団などの芸術家たちと同じ舞台に立った。

 公演のテーマは「平和」である。「わが国の青い空」は弾丸の雨で汚されることのない空、戦争のない国を歌っている。

 冷戦後も軍事的緊張が続く朝鮮半島。とくに核問題をめぐり朝米の対決構図が激化すると「戦争の危機」は現実的な問題として浮上した。「反テロ」と「大量破壊兵器不拡散」を旗印にイラクを攻撃した米ブッシュ政権は、朝鮮に対しても「悪の枢軸」の呼称を使った。

 「第2の核危機」といわれる2002年秋以降の朝米対決の過程で、朝鮮側は軍事的衝突の可能性を真剣に検討したのであろう。「自衛的核抑止力」を開発するという決断は、そのような安保論議の帰結であったに違いない。

経済復興の目標

 結果的に朝鮮半島で戦争は起きなかった。米国は昨年9月、6者会談で採択された「共同声明」の中で、従来の対朝鮮敵視政策の転換を世界の面前で「表明」せざるをえなかった。現在、6者会談の再開は不透明な状況にあるが、問題の平和的解決に向けた基本的プロセスは定まっている。

 「共同声明」の採択は「先軍政治(軍重視、軍先行の政治路線)」の賜物だというのが国内の評価である。国家のリーダーが示した路線を「わが国の青い空」の舞台のように、「軍民一致」で支え、平和を守りぬいたというわけだ。

 「戦争の危機」をなくすことは、経済発展のための必須条件である。朝鮮人民は自らの体験を通じて安保と経済の関連性を習得している。

 昨年は経済の分野でも大きな成果があった。穀物増産によって食糧問題解決の展望を開いた。工業の各部門でも生産が拡大した。

 今年の3紙共同社説に「国の経済全般が確固たる上昇の軌道に乗った」との一節がある。この文面は、経済に携わる関係者を奮起させ、経済学者、研究者を興奮させた。年明けから経済関連の取材で会った人々は一様に「時代は変わった」との認識を示した。

 国内では今年から「3年連続計画」が始まる。2008年までの3年間に電力、石炭、鉄鋼などの基幹工業と農業分野で達成すべき生産目標を掲げた。ある経済官僚は「90年代から続いた経済的苦境の中では、一年間を見通すのが精一杯で、このような多年計画を立てることができなかった」と語った。

 3年間で達成すべき目標は「80年代後半のレベル」だという。この年代は朝鮮の経済発展が最も早いスピードで進んだ時期である。平壌市内の農場や発電所、製鉄所の生産者たちも自信を示している。年始から周辺住民や学生などが「支援労働」のため訪れている生産現場では、即興の公演なども行われる。決まって歌われるのが「80年代」という「よき時代」を思い起こさせる、あのリバイバルソングである。

総書記の「攻勢」

 90年代後半からの試練に満ちた約10年間をたたかい生き抜いた人々は、「見上げた青い空」の大切さをしっかりと心に刻んでいる。

 新年慶祝公演「わが国の青い空」は、金正日総書記の発起によるものだという。年末と年始の2回、自らも公演を観覧した。公演に込められたメッセージは、総書記の心情の吐露であると同時に決意の表明であったのだろう。そして「次のステップ」を踏み出した。新年初頭の中国非公式訪問では「核問題の平和的解決意志」を示し、中国南部と中部の経済実情を視察した。

 「平和的環境下での本格的経済復興」、2006年の「全面的攻勢」とは安保と経済の同時遂行戦略の始まりを意味するのであろう。

 それは総書記自らが仕掛ける「攻勢」である。だからこそおそらく後退はありえない。懐かしいメロディーを口ずさみながら人々はそう確信している。(金志永記者)

[朝鮮新報 2006.1.29]