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「朝鮮大学校の50年の歩みと未来」(上) 民族的な自己回復作業

日本社会の「良心」と強く連帯

 既報のように11月11日、朝鮮大学校創立50周年記念シンポが同大で行われた。慎栄根助教授が行った基調報告「地域社会と世界から見た朝鮮大学校の50年の歩みと未来」を3回にわたって紹介する。

存在の意義

日本の各大学の総長、学長、学者たちが朝大の認可を力強く支援した(67年3月3日)

 高等教育に対する在日朝鮮人の悲願を叶えるべく、朝鮮大学校が産声をあげてから半世紀の時が経ちました。

 創立当初、本学は人材や財政、経験や設備など足りないものづくしのなかで熱意と希望だけを頼りにスタートしましたが、その後における朝鮮民主主義人民共和国からの教育的配慮と、日本のみなさまの惜しみない支援に多大な力を得て、努力と奮闘を重ねてきた結果、今日8つの学部と研究院からなる総合的な高等教育機関へと発展することができました。

 この間本学は、われわれ在日朝鮮人にとって、単なる学問習得の場としてのみではなく、その存在の歴史的性格から提起されるさまざまな矛盾や課題を解決する「民族教育の最高学府」として機能してまいりました。

 それは要約するならば、第1に、日本の植民地支配によって生じた民族的な「自己喪失状態」からの回復という課題であり、第2に、そのような「民族としての自覚」に基づいて自己と祖国との関係性を再構築するという課題であり、第3に、そのような社会歴史的存在として日本社会における共存を図るという課題であったといえます。

朝大の認可を喜ぶ学生たち

 そして、これらの困難かつ重要な問題を解決する過程で、本学はほかの大学とは異なる貴重な実践と教訓を積み重ね、自らの存在意義を確かめてまいりました。

 なによりも、過去に同化を強いられた旧植民地宗主国という立地条件のもとで行われてきた本学における民族的な自己回復作業は、在日朝鮮人自らの努力だけではなく、そのような植民地主義に反対し、新しい民主的な日本を創ろうとする日本社会の「良心」と強く連帯し、その進展と軌を一にして行われてまいりました。

 また、戦後の国際的な政治的パワーバランスのなかで祖国が北南に分断され、冷戦構造の確立とともにそれが固定化されていくなかで、本学は日本で教育が行われるという独自の立場を生かし、常に民族内対立のイデオロギーを克服し、平和統一へとつながる志向性と価値観を追求してまいりました。

 そればかりではなく、日本社会において「異文化交流」や「多文化共生」などのキーワードすら一般的ではなかった時代から今日に至るまで、本学は一貫して在日朝鮮人を取り巻くさまざまな問題を来たるべき国際化時代における「普遍的課題」として発信し、その解決に向け努力と研究を重ねてまいりました。

 その結果本学は、こんにち在日朝鮮人にとっての財産としてのみではなく、日本と朝鮮半島のより良い未来を築き、アジアに平和を招くとともに、日本社会の真なる国際化と多文化共生を実現するうえにおける重要な拠点としての役割を担うことができるものと自負しております

創造の歴史

 このように半世紀にわたる本学の歴史は、先例なき独自の道を切り拓く創造の歴史でもありましたが、それゆえにその道程は決して平坦なものではありませんでした。

 とくに、開校3年目にあたる1959年度に校舎をここ小平市に移転し、教育活動を軌道に乗せるまでの過程は苦難の連続でありました。

 発足当初、入学生84人、聴講生20人の合計104人の学生を対象に、10名余りの教員による2年制の高等教育としてスタートした本学は、自前の校舎も持てないまま、東京都北区十条にある東京朝鮮中高級学校の一角を仮校舎として使用するという状況にありました。

 このような中で、在日朝鮮人社会の未来をかけたプロジェクトとして本学の新校舎建設運動が始められ、新しい校舎の建設基金を募る大衆運動が日本全国で広汎に推し進められました。

 呼びかけを聞いた同胞たちは、1945年の解放直後、民族教育を始めた時と同じように、子どもたちの夢を実現すべく、日々の糧にも事欠く苦しい生活の中からなけなしのお金を出し合いました。

 寄付金の中には、この知らせを聞いたハワイ在住の同胞から送られてきたお金30数万円(当時)も含まれていました。

 しかし、それでもなお、さまざまな実験室や研究室を備えた大学の校舎を新築するには、集められた寄付金をはるかに超えるばく大な費用が必要とされ、またそれは、日本政府からの財政的支援を望めない状況のもとでは、当時の同胞社会にとって力に余る課題でありました。

 このような困難な状況のもと、1957年から58年にかけて、本国である朝鮮から合計2億円(当時)を超える巨額の教育援助費が新校舎の建設費用として送られてきました。

 朝鮮戦争の傷なお癒えない朝鮮からの思いもかけない巨額の支援金は、本学にとってまさに「生命の水」になったとともに、民族教育と同胞社会の未来を照らす「希望の光」としてわれわれ在日朝鮮人の教育活動を大いに鼓舞してくれました。(朝大助教授 慎栄根)

[朝鮮新報 2006.12.11]