〈教室で〉 東京第5初中 美術 金聖蘭先生 |
美術教育は美術の技術と知識を教えるだけではなく、児童、生徒たちの世界観形成と情操教育に大きな役割を果たすと、東京朝鮮第5初中級学校の金聖蘭先生(45、美術) は考える。昨年、2学期最後の中級部2年生の美術授業では、「手」をテーマにデッサンが行われていた。 主張を込めて表現
「作品に、自分の主張、感情を込めて表現してみよう」 金先生は、手の形と光の明暗で、自分の主張や感情を表すよう生徒たちに指導していた。 「今から先生は、あなたたちの『このようにしたいのですがどうすれば良いのかわかりません。何か良い方法はないですか?』という、意思のこもった質問に対しては答えますが、はじめから『どうすれば良いかわかりません』と、諸手を上げて先生に頼る態度に対しては応じません。初級部の児童ではない以上、深い思考とそれを表現する力を育てなくてはなりません。わかりますか?」 金先生は美術教育を通して、児童、生徒たちの民族性をどう育てるかをいつも考えている。 「とくに中級部時代は、人間形成において重要な時期。教師が意識的に在日朝鮮人とは何か? という問題提起をして、生徒たちが自ら考え答えを探し出す過程が必要」。金先生はその時に応じて、中級部の美術授業を通じて、1年生には「朝鮮民族」に対するイメージを与えるようにし、2年生には「民族と在日」、3年生には「自画像」というテーマを与えて、2〜3学期のすべての時間をかけて作品創作に取り組ませている。 忘れられない02年秋
長年の教員生活の中で金先生が忘れることができないのが、在日朝鮮人にとって悪夢のような日々だった2002年9月のことである。 この年も、例外なく前述したテーマをもって中級部の美術授業は進められていた。「2学期最初の授業は、これからの朝・日関係に対する希望的な話をしながら、生徒たちに製作を始めさせた。しかし、その直後にこれまで経験したことのない『北朝鮮バッシング』が日本全土を覆ってしまった。児童、生徒たちは身辺安全のため私服で集団登下校をし、電車やバスの中で朝鮮語の使用を自粛するよう指導された。ニュースを見ながら、学校生活を送りながら、彼(彼女)らは胸の内に感じるものがあってもそれを口の外に出して表現しようとはしなかった」。 美術授業では、一度始めたテーマ別作品創作を続けることになった。生徒たちは、自分の身の周りで起きている「拉致騒動」と関連した感情や思いなどを表現し始めた。 「自己肯定」は生きる糧
「明るいテーマとして始めた作品製作が、一変して重たいものとして生徒たちの胸にのしかかってきた。言い表せない恐怖の中で学校生活を送る生徒たち。『朝鮮=悪』というマスコミの一方的な論調が、当時多くの生徒たちに自己否定的な影響を及ぼしていた。在日の子どもたちにとって自己肯定が根底から揺るがされるということは、これから日本の社会で暮らしていく彼(彼女)らが、初めて出会う人に対して堂々と自己紹介をできないということを意味している。将来この日本社会で生きていく重要な糧となる自己肯定が、根底から揺るがされるのは本当に憂慮すべきことだった」 学校では、そうした事態に対応して日本学校との交流を通じて生徒たち自身が「親切な日本人」「理解ある日本人」もいるということを実感できる場を設けたりもした。また、金先生が01年から関わっている「南北コリアと日本のともだち展」のワークショップを通して、朝鮮学校の生徒が朝鮮半島と日本をつなぐ「かけ橋」の役割を果たせる存在であるということも実感させた。生徒たちの作品は、次第に「自己否定」的なものから「自己肯定」的なものへと変わっていった。 生徒たちの苦悩と葛藤が込められた作品を前に、金先生は美術作品の製作とともに作品に対する作文も生徒たちにつづらせた。 「作文によって、生徒たちの複雑な内面世界に対する理解を深めることができる。また、生徒たち自身、創作を通じて自らが追跡、確認したものに対する定義づけをすることで、複雑な世の中と自分の内面世界に対する整理を自身の力でできるという利点もある」と金先生は説明する。 当時の経験を金先生は、日本の教育者たちを含めた日本市民らに広く伝えるため精力的な活動も行っている。初級部6年生のときに朝鮮学校に編入した金先生は「少数者」としての不安感を身を持って体験している。仲の良い日本の友人とはその後も連絡を取っていた。「うちわだけで語っていてもダメ」という思いが彼女を突き動かす。 「在日の子どもたちが置かれている状況を日本の人々に伝えることは、教育現場で働く教員たちの役目だと思う。在日ゆえの子どもたちの搖れる心と葛藤、悩みは、日本の人たちとも共に考えなければならない問題である」 02年当時、多くの悩みの中で作品創作に取り組んだ生徒たちは今年高級部3年生に進級する。金先生はこれからも美術教育を通して、児童、生徒たちの情操教育、「人間教育」に全力を注ぎたい、と語った。(金潤順記者) ※1960年生まれ。滋賀初中、京都中高、朝大師範教育学部美術科卒業。大学時代に児童心理学研究サークルを設立し研究活動を行う。倉敷初中、滋賀初中、東京第5で美術教員(第5では20年目)。在日朝鮮女性美術展「パランピッ」事務局、01年から「南北コリアと日本のともだち展」平壌、ソウル、東京展に関わる。 [朝鮮新報 2006.3.25] |