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〈教室で〉 下関初中 中級部3年担任 呉栄哲先生

 昨年、在日朝鮮学生中央芸術コンクールで下関朝鮮初中級学校吹奏楽部が演奏した「チェンガンチュム(チェンガンの舞)」が洋楽器合奏部門で金賞を受賞し、優秀作品に選ばれた。同吹奏楽部は現在10人と少ないが、朝鮮特有のチャンダンのリズムを洋楽器とチャンゴを合わせた質の高い、迫力ある演奏で聴く人たちを大いに驚かせた。現在、同校吹奏楽部を指導している呉栄哲先生(41)は、「優秀な音楽教員でもないし、特別な指導をしているわけでもない。ただ、ウリ民族の音楽、ウリチャンダンの楽しさを知る生徒らを育てたいといつも心がけている」と語る。

人数は少なくても

 10人という数は、合奏ができる人数ではない。しかし、呉教員と生徒らは、重奏ではなく合奏で中央芸術コンクールに出場することを強く望んできた。その理由は合奏の迫力にある。それだけ観衆の心に大きく響くからだ。

 「合奏にこだわるのはいくつもの楽器で一つの曲を共に作るという一体感、生徒たち同士の一体感を感じることができるから」

 昨年11月5日、優秀作品発表の舞台で最初に演奏を披露したのが同校だった。

 合奏の今規定は11人での出場。クラブのメンバーが10人しかいないため、初級部の生徒を1人入れて出場した。少ない人数だが軽快な演奏に観覧者らから大きな拍手がわき起こった。

 「予想外だった。私も生徒たちも金賞は受賞しても優秀作品には選ばれないと思っていた」

 呉先生が指導した同校吹奏楽部が優秀作品に選ばれたのは今年で3度目。規模は小さくとも昔から伝統あるクラブとして知られている。今大会ばかりは優秀作品はとれないと考えていた生徒たちの目からは、止めどなく涙があふれでた。

 「生徒たちは人数が少なくても一生懸命やればできるということを実感したはず」

「民謡をやっていく」

日本語の授業風景

 地元九州で吹奏楽部教員になりたくて、九州中高、朝鮮大学校師範教育学部(現在は教育学部)・音楽科を卒業した。大学卒業後は山口県の宇部初中に赴任し、宿直室で生活しながら、9年間教べんをとった。学生時代から吹奏楽部に所属しながら音楽のおもしろさを感じてきた。生徒たちにこの楽しさを伝えたいという気持ちは強かったが、同校に吹奏楽部はないため、教員生活4年目の年に器楽部を作った。

 「楽器は学父母たちがお金を集めて買ってくれた。そうやって少しずつクラブの形を作っていった」

 こうして、初めて中央芸術コンクールの初級部器楽部門に出場したが、結果は最下位。この時の経験と教訓を生かし、個人指導に重点を置くようになった。民族楽器で朝鮮の歌、民謡を演奏していきながら旋律の美しさ、すばらしさを再確認した。

 呉先生は、「器楽を教えるにあたり、自分が学ぶことの方が多かった時期だった。教員としての基本姿勢はこの時に確立された」と振り返る。

 彼の基本姿勢は「民族音楽、チャンダンのリズムの楽しみなど朝鮮音楽を楽しむ生徒を育てたい」ということだ。

 あるエピソードがある。

 呉先生がその後、下関初中に転任し、吹奏楽部を指導するようになった時の話だ。同校吹奏楽部が、98年に行われた中国中学校吹奏楽祭に出演し、「最優秀校」を受賞した。その時の司会者が一人の生徒にインタビューした。

 「これからどんな音楽を奏でたいですか?」

 一瞬、言葉を詰まらせながらもある生徒はこう答えた。「民謡を演奏したいです」。生徒の自然な言葉だった。

伝統あるクラブとして

 現在、部員数が少なくても指導するにはいい点もあるという。「教員がすべての生徒を把握できるし、個人指導もしやすい」。

 呉先生の音楽に対する姿勢は熱い。「私は音楽家ではない。音楽教員である前に一人の『教育者』だと思っている。在日同胞社会を支えていく生徒を育てる教育をすることが、一番の義務。音楽は生徒を育てるための手段だ」

 現在、山口県には下関初中、宇部初中、徳山初中の3つの学校がある。県下同胞社会の生命線だ。山口朝高が休校になったあと、卒業生たちの中で地域同胞社会への帰属意識が薄れていく現状があると呉教先生は憂慮する。

 このような現象を少しでも防ごうとする動きがある。下関初中吹奏楽部OB会が昨年から結成された。メンバーは約20人。月に2回ずつOBらが学校で練習している。

 「横のつながりが深まるだけでなく、現役の吹奏楽部生徒らも先輩たちと共に練習できることを喜んでいる。在校生たちの愛校心を高めてくれるし、OBたちも後輩たちの力になろうとがんばってくれ、互いに刺激を与え合ういい場になっている」

 呉先生は吹奏楽を指導する過程で、音楽が持つ無限の可能性についてよく理解している。

 「これからも吹奏楽に民族の音楽を取り入れ、子どもたちの心に豊かな情緒を育んでいきたい。来年ももちろん、中央芸術コンクールでの金賞を目指す」とキッパリ語った。(金明c記者)

オ・ヨンチョル:1964年生まれ。北九州朝鮮初中級学校、九州朝鮮中高級学校、朝鮮大学校師範教育学部・音楽科卒業、宇部朝鮮初中、下関朝鮮初中で21年間教べんをとる。現在、下関初中の教務主任でありながら中3の担任も務める。中級部の日本語のほか、週に音楽2時間、美術3時間を担当。吹奏楽の指導に情熱を注ぐ。

[朝鮮新報 2006.2.18]