〈東京朝鮮第2初級学校土地問題裁判〉 佐野通夫教授・四国学院大学の意見書(要約) |
東京朝鮮第2初級学校の土地問題をめぐる裁判が現在、東京地方裁判所で係争中だ。2月16日に行われた第11回口頭弁論で、学校側弁護団は四国学院大学・佐野通夫教授の意見書を提出した。意見書は「教育を受ける権利」の保障のためには、それぞれの言語で教育する学校、そのような教育を保障する場が重要な意味を持つと主張している。意見書の要約を紹介する。 1、教育勅令主義から教育法律主義へ 本件は、東京朝鮮第2初級学校に学ぶ約60名の子どもたちの「教育を受ける権利」に関わる問題であり、現在における日本国憲法の教育条項を理解する一助として本意見書をまとめる。 2、権利の主体について 「教育を受ける権利」を定める憲法第26条の主語は「国民」となっているが、憲法の人権条項について主語の文言によって適用を別異に考えることは適当ではない。 また遵守義務の定められている多数の人権条約の締結によって、日本国憲法の人権条項も発展してきたと考えなければならないことから、憲法第26条の文言における主語は「すべての者」になっていると考えなければならない。 3、憲法と学校教育法、同法施行規則のねじれ 憲法第26条は子どもの学習をする権利の保障のための規定であると解釈されなければならない。 学校教育法第22条の問題は、第1−「普通教育を受けさせる義務」がいわゆる「一条校」に「就学させる義務」に変えられている点、第2−そのことによって、「普通教育」という概念がせまくさせられているという点である。 憲法は「すべて国民は、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めているのであって、このような「教育を受ける権利」をまったく否定する法律や政府の行為は憲法上、許されないものというべきである。 4、「普通教育」とはなにか 学校教育法の文言から明らかになることは、普通教育とは専門教育に対比する概念であるということでしかないということである。 学校教育法が定めているのは、いわゆる「一条校」は「普通教育」を行う機関の一部であることであって、「普通教育」の概念はもっと広いものだといわなければならない。 5、日本国憲法の社会構想−価値多元性と公共性 憲法の保障する「普通教育」は日本語による特殊日本社会にだけ適応する「特殊な教育」ではなく、「普遍的な教育」でなければならない。その内容は、その子の出自に応じて、それぞれの父母、祖父母の言葉による「民族教育」でなければならない。朝鮮人の子どもたちであれば、朝鮮語による教育を保障することが「普通教育」なのである。 6、外国人に対する教育の保障 1995年現在、朝鮮学校に何らかの形で助成金を支給している地方自治体は、27都道府県154市23区33町に及んでいる。朝鮮学校は地域社会に根づき、学校として評価されているのである。 また学校教育法第22条には国籍条項がなく、「保護者は」としか規定していない。立法府は、教育義務を国籍条項なく定めているのに、行政府が政令において外国人を排除しているのである。 7、「その能力に応じて」 憲法第26条の「その能力に応じて」という文言は、それぞれの個性に応じ、教育を受ける者の必要の上に教育内容が構成されなければならないことを意味すると読んでいかなければならない。 子どもの権利条約からも日本国には朝鮮人である児童が朝鮮語を学習し、朝鮮語を通じて文化を学習する機会を保障する責務があるといわなければならない。 8、多様な学校の設立 親の教育の自由の保障は個々人の親の自由が保障されるだけでなく、親が共同で学校を設立し教育する自由をも含んでいる。 9、「私学の自由」について 現代における教育は、親の教育の自由の保障として、私学の存立のための公費助成が不可欠である。 朝鮮人の子どもたちの教育を受ける権利の保障としては自らの言語である朝鮮語による教育があって真に保障されているということができる。さらに言語の習得には集団の存在が不可欠であることから、朝鮮語で教育を行う朝鮮学校の存在は不可欠である。そのため、その公費助成も憲法上の要請であるといわなければならない。 10、生存権保障としての教育保障 私立学校に対する助成は教育の公共性を保障するために必要である一方、生存権の文化的側面という観点からも必須のものであるということができる。 11、地方自治体の責務 本件において原告都が行ったこの「朝鮮学校用地無償貸付契約」はすでに憲法規範を法規範として具体化させたものであって、それを教育を受ける者の不利益に変更すること、ましてや教育の継続を不可能にする明け渡し請求を行うことは許されないというべきである。 [朝鮮新報 2006.2.28] |