〈熊本朝鮮会館への固定資産税等免除措置〉 福岡高裁の判決、公益性、十分に備えている |
「何らかの政治的意図うかがえる」 既報のように、福岡高等裁判所は2日、熊本朝鮮会館の固定資産税等に対する熊本市の免除措置に関する判決で、これを違法とする判決を下した。昨年4月21日、熊本地方裁判所が下した「(朝鮮会館が)公益性を備えた公民館類似施設に該当し、固定資産税等の減免措置に違法性はない」との判断を全面的に覆したもので、「朝鮮と総連に対する偏見と差別を増幅させる」(総連中央・高徳羽副議長兼同胞生活局長の談話、3日)不当な判決として、非難の声が高まっている。 「公民館類似施設に該当」
熊本朝鮮会館への市の固定資産税等の免除措置に関する地裁、高裁の裁判で、最大の争点となったのは公益性を備えた公民館類似施設であるかどうかだった。 熊本地裁は判決で、朝鮮語、民族、風習、歴史などの学習会、講演会などの定期的開催、民族楽器や歌などのサークル活動、市民団体、婦人団体等との交流会、生活相談、各種図書の閲覧などの例をあげ、「本件土地建物は、当該施設の利用対象者、施設の設備や利用実態、事業内容などから見て」公民館類似施設にあたるとした。 これに対し福岡高裁は、「朝鮮総連の活動はもっぱら北朝鮮の国益や在日朝鮮人の私的利益を擁護するもの」であり、「わが国社会一般の利益のために行われていないことは言うまでもない」と地裁の判決を覆した。 そもそも、公民館とは市町村など一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術、文化に関する各種の事業を行う施設で、住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的としている(社会教育法20条)。 また、同法第42条1項には、「公民館に類似する施設は、何人もこれを設置することができる」と規定されており、在日朝鮮人の社会的、文化的資質と地位を向上させるための学習会や高齢者支援活動が日常的に行われており、朝・日友好親善の発展のための経済、文化交流を深める場として活用されている熊本朝鮮会館が、同法が規定する公民館に類似する施設に該当することは言うに及ばない。 明らかな不当判決 今回の福岡高裁の判決に対し、総連は3日に発表した談話で、「これまで中央本部をはじめとする朝鮮総連の施設は、朝・日間に国交がない状況のなかで、日本における代表部格の役割と民間交流の窓口としてその公益が認められ、約40年間にわたり固定資産税等の減免措置を受けてきた」と指摘。植民地時代に強制連行などで日本に移住させられた当事者とその子孫である在日朝鮮人全般の利益と権利擁護を「私的」なものと決めつけ、その公益性を否定することは言語道断であると非難した。 また、判決当日に安倍官房長官が「朝鮮総連の位置づけという意味で司法がそういう判断をしたことは意義深い」と発言したことをあげながら、何らかの政治的意図がうかがわれると強調した。 そもそも、熊本朝鮮会館への課税は、「救う会熊本」が2003年9月に住民監査を請求したことがその発端となっている。また、東京、大阪、北海道、新潟でも総連施設に対する固定資産税等減免措置撤回に関して訴訟が起こされている。拉致問題以降の「朝鮮バッシング」を背景にこうした動きが出てきたことからも、政治的背景があることは否めない。 今回の判決は、時代の流れに逆行するばかりか、日本国憲法や市条例、法の一般原理である信義則などにも違反しており、不当なものであることは疑問の余地がない。(李松鶴記者) 床井茂弁護士 「在日朝鮮人敵視の判決」 今回の判決はまず、「朝鮮総連が公益性を有しない」という判断の誤りを犯している。 朝鮮総連はこれまで、「法人格のない社団」として認められてきたが、判決はその公益性をまったく認めていない。判決では、「北朝鮮の指導のもとに活動している」としているが、まず総連結成の歴史的背景に目を向ける必要がある。 在日朝鮮人は、日本による朝鮮の植民地支配により強制的に連行されて来たり、生活のためにやむをえず渡ってきた人やその子孫である。総連はそうした人たちの集まりであり、判決にはその観点が抜けている。 仮に総連が朝鮮の指導のもとに活動していると言っても、決してそれだけではなく、日本の市民との友好親善をベースに活動してきたことも事実である。また、判決も認めているように、旅券の発行など領事館的な役割を果たしているが、これは公益性そのものだ。 次に、在日朝鮮人は基本的に永住権を有しており、日本社会に根を下ろして生活し、納税義務を果たしている。つまり、旅行で日本に来た外国人とは違い、日本社会の構成員である。 公民館とは、国民および国内に暮らす住民が使用するものであり、仮に熊本朝鮮会館が在日朝鮮人だけが使う施設だとしても、国内に暮らす住民が使っているので、公民館に類する施設と判断してしかるべきだ。 今回の判決は、こうした事実をまったく無視し、単に形式的に下されたもので、全体として在日朝鮮人の存在を無視しているばかりか、追放されても仕方ないというニュアンスすら汲み取れる。 さらに言えば、現在の情勢の下で在日朝鮮人を敵視するものであり、法の正義にも反するものである。 こうして見てもわかるように、今回の判決はかなり特異なものであり、国内ばかりか国際的にも支持を得られるような普遍性を持っておらず、ほかの訴訟に悪い影響を及ぼすことはないだろう。 [朝鮮新報 2006.2.7] |