top_rogo.gif (16396 bytes)

元「従軍慰安婦」朴永心さんの訃報を知って

暗黒の歳月を生き抜き、日本の戦争犯罪を告発 ハルモニの恨 忘れません

女性国際戦犯法廷での朴さん(前列右から2人目、00年12月)

 朴永心さんの訃報を知らせる本紙記事を目にして頬筋がけいれんした。

 2000年12月バウネット・ジャパン(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)主催の女性国際戦犯法廷に行った時の事を思い浮かべた。開廷ギリギリに慌てて潜りこんで座った席が、偶然にも朝鮮側被害者席だった。私の左5つ目の席に朴永心さんが座っておられた事に気づいたのは、北南共同チームが提出した写真資料(妊婦姿の女性)が本人であるかどうかを裁判官が確認した時であった。

 北南共同弁護団が提出した多くの資料によって、慰安所設置は国家の政策で行われたことがあますことなく立証されていて、会場は怒りや痛みが充満し、重苦しい空気に覆われていた。

 午前の法廷も最終段階にさしかかり、あどけなく恥ずかしげで哀しそうな妊婦の写真がOHPに映し出された瞬間、傍聴する皆が固唾を飲んだ。弁護団は写真の妊婦が朴永心さんであり、この場に出廷して証言すると言うと、法廷はさらに緊張に包まれた。

日本の戦争犯罪を裁いた判決を喜ぶ朴さん(右端、00年12月)

 裁判官が本人確認のため被害者は演壇に上がるよう命じた。しかし高齢(80)の朴さんは足が悪くその場で起立しマイクを持った。私は横から朴さんを凝視するばかりだった。

 とても小柄だった。「この写真の人物はあなたですか」という裁判官の問いに小さな声で「イェ(はい)」と答えた。その数秒の張り詰めた空気を表す言葉を私はもたない。

 シーンと静まり返った場内の張り詰めた雰囲気が一瞬変わった。何を思ったか、朴さんがクルリッと後ろを向き400人を超える傍聴席に向かって深々と頭を垂れた。すると真後ろに座っていたチョゴリにショールを羽織っていた小柄なハルモニが朴さんの手を握りしめた。拍手鳴りやまぬ会場で二人は静かに目を見合わせていた。その二人の姿はまるで別世界にいるような、時間が止まったような…。今でも目に焼きついている光景た。

 長い長い暗黒の歳月を生きた二人の静かないたわりと痛みの共感。後ろは韓国被害者席だったのだ。

 そして朴さんは着席すると、両手で顔を覆い号泣した。過去を隠し通し、その痛みを訴えることも叶わず生きてこられた朴さん。はじめて事実を世界に公表したいま、堰を切ったように泣き崩れたのだった。

 昼食時間中もずっと泣いていたと数日後に知った。

 私は判決を直接聞かずにはいられなくなり、判決当日は仕事を休んだ。

 世界でも例を見ない日本軍性奴隷制の実態。慰安所は軍隊内で広がる性病を最小限にし、軍の士気を高めるため計画された国家の組織的犯罪だ。法廷は当時皇軍の最高責任者であった昭和天皇に有罪判決を下した。歴史的瞬間だと思った。法的拘束力はないが、それでも精神的にはすごい。ハヌル プルダとはこういうことか? と。

 判定を直接聞くまでは、ドキドキしていたが、裁判官が判決文を読み上げている最中から涙が溢れた。会場は歓声が響き、世界各国の言葉がこだましている。記者たちが叩くキーボードの音も高鳴る。

 1階は興奮で全員立ちあがりみなが踊り始めた。私は朴さんを探した。ハンカチを天井に向けて高くなびかせながら、「ネ チュゴド イジェ ハニオプタ(もう死んでも悔いはない)」とつぶやいたのを私は聞いた。足はあまり動かせないが踊っていたようだった。

 人間の尊厳を回復するために女性国際戦犯法廷は、日本の戦争犯罪を裁いた。その瞬間を私は忘れない。この報道をNHKのETV特集で放映すると聞いていたので、友人たちに知らせた。しかし、報道は事実を改ざんした恥ずべきものだった。のちに安倍、中川といった自民党の政治家らの圧力がNHKにかけられたと朝日新聞が報じていた。もはやこの国の言論は、戦時統制に入ったかのようだ。

 過去を反省しないだけではなく、事実を捻じ曲げる事で新たな罪を犯している人物が、次期首相候補なのだから被害者のハルモニたちの苦痛はいかばかりであるかと思う。

 しかし、国際戦犯法廷実現のために全力を尽くした故・松井やよりさんをはじめ、世界中の進歩的女性たちの存在を決して忘れてはなるまい。朴さんの遺影にあらためて誓おう。「ハルモニたちの叫びを心に刻み、語り継いでいきます」と。(康貞奈、会社員)

[朝鮮新報 2006.8.30]