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北海道 「東アジア共同ワークショップ」 猿払村で人骨片出土

在日、南、日、中の学生ら 歴史見つめ交流

 北海道宗谷郡猿払村浅茅野の旧共同墓地で人骨片などが数カ所で相次いで発掘された。18日から行われている「東アジアの平和な未来のための共同ワークショップ〜東アジアの過去を心に刻み、未来を共に拓く〜」(主催=旧日本陸軍浅茅野飛行場建設強制連行犠牲者遺骨発掘実行委員会、25日まで)のプログラムの一環で行われた強制連行犠牲者の遺骨発掘作業による。南朝鮮と在日の同胞大学生、日本、中国の大学生ら約180人が共同で実施。地元村民ら60人以上がボランティアで参加した。

「断腸の思い」

学生らのディスカッションの様子

 発掘現場は日本の太平洋戦争期に軍用飛行場建設が行われた浅芽野の共同墓地があった場所。建設現場には植民地下にあった朝鮮から300〜4000人ともいわれる朝鮮人が強制連行され、土の運搬や整地作業などの苛酷な労働と虐待、伝染病などによって多くの犠牲者をだした。彼らの遺骨が今も多数眠っているとみられている。

 ワークショップの主管団体でもある「強制連行、強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」は昨年、埋火葬許認証などから89人の犠牲者情報をえ、14遺族が確認された。遺骨があるだろうとの証言も得た。その後の試掘(昨年10月)で一体の遺骨をみつけた。身につけていたものなどから遺骨が朝鮮人のものである可能性が高いとされている。

 発掘現場に立ち会った漢陽大学名誉教授の李泳禧さん(77)は発掘された骨をながめながら「犠牲者と遺族のことを思うと断腸の思いだ」と悲しみを表現しながらも、「未来を創る若者たちの共同作業は意義深い。平和な未来を築いてほしい」と訴えた。

発掘で実感

悪天候の中でも発掘作業に精を出す学生ら

 実際に骨が発掘されたことで参加者たちはさまざまな思いをめぐらせた。

 発掘作業に携わった名寄市立大学の能登啓名さん(栄養学部1年)は、日本の報道では真実を知らされず、教科書でもあまり扱われていなかったという。だが、発掘や遺族の話を通じて、「(強制連行が)実際にあったのだと実感した」という。「ワークショップに参加していろんなことを経験した。多国間の交流に広めたい」と述べた。

 祖父が強制連行被害者の一人だったという朝鮮大学校の蔡奎植さん(理工学部4年)は「まだまだ全国に遺骨が埋まっていると思う。遺族の話を聞いて異国の地で無残に犠牲になったことがどれほど悲しいことかがわかった。一体でも多く掘り出して遺族に返してあげたい」と語った。

 発掘は南朝鮮・漢陽大学文化人類学科の安信元教授(考古学専攻)の指導のもとで実施された。安教授によると発掘された骨は完全に火葬されていない状態だという。また、骨のかけらと木炭が集中的に発掘された場所もあった。ガラスや磁器のかけら、第2次世界大戦中に売られていたビールの空きびん、足袋などがともに出土した。あらためて鑑定が行われる。

 地元村民らの話によると、今回の発掘場所は第2次世界大戦期に共同墓地であり、火葬場としても利用されていた。軍の命令があった日にだけ火葬が行われた。多くの朝鮮人の遺体が運ばれるなか、共同所有の薪が不足し、十分に焼かれなかったものもあったという。この証言は発掘された人骨の状態を説明するものとみられる。

全国集会が閉会

 21日には地元村民らの証言を聞く集会が行われた。証言者らは日本の太平洋戦争下で過酷な労働を強いられた朝鮮人の労働や生活について目撃証言を行った。

 菅野吉男さん(大正13年2月生)は60数年前の暑い夏の日に目撃したことについて話した。山の中腹にスコップを持った人たちの列が見えたが、みなタオルを腰に巻いただけの裸に裸足だったという。あとから飛行場建設に従事させられていた朝鮮人だと知らされたという。

 集会では南朝鮮の遺族らも地元村民らの証言に聞き入っていた。

 また22日には、7月末から全国27カ所で行われた「韓国、朝鮮の遺族と共に―遺骨問題の解決へ2006夏」を締めくくる集会が行われた。

 全国実行委員会から各地集会の報告と遺骨問題の動きについて、曹洞宗から遺骨問題への取り組みについて報告があった。また、浅茅野飛行場建設犠牲者の遺族4人が遺骨を探す胸のうちを語った。

 全国実行委員会共同代表であり、北海道フォーラムの共同代表でもある殿平善彦さんは「遺族の悲しみ、犠牲者の無念を晴らすために何をすべきかを考えなければならない。破壊された人間関係を修復し友情を構築するには、民衆同士の出会いと対話が必要だと確信している」と述べた。

 ワークショップでは、遺骨発掘作業、シンポジウム、文化交流などが相次いで行われた。遺骨発掘や集会、ディスカッションを通じて歴史や文化を学び、互いの思いをぶつけ合いながら交流を深めた。地元村民らは宿舎の提供、食事の支度、発掘の下準備など、さまざまに協力し学生らを歓迎した。(取材班) 

[朝鮮新報 2006.8.24]