マイノリティーと「結婚」 |
民族結婚の最前線を取材している記者はチョンガー(独身)だ。20代後半の記者にとって「他人事」ではない。 結婚とは、一般的には一度するものである。ゆえに知らないことだらけ。交際→婚約→結納→挙式のプロセスも、マッコルリが簡単に作れないことも、いまどき、お見合いがししおどしの鳴る料亭で行われないことを知ったのも、ごく最近のことだ。思わず「本当!?」と声を大きくしてしまった。 さらに、晩婚化、少子化、「独身化」…最近では結婚できない男がドラマにもなっているが、すべてが同胞青年と同胞社会にとっても、無縁ではないことを知った。むしろマイノリティーにとってはより切実な問題と言える。問題を民族結婚から出発した場合、結婚しなければ子どもが増えない、子どもが増えなければ生徒数が減少する、生徒数が減少すれば学校の規模が縮小し、民族教育と同胞社会が衰退する。するとまた民族結婚のチャンスも少なくなるだろう。乱暴な言い方だが、問題はいかにこの悪循環を断ち切り、抜け出すかである。 さて、「他人事」ではない者にとって、しないのか、できないのかと問われた場合、残念ながら「後者」が正解である。つまるところ「準備不足」なのだ。 一朝一夕に解決する術はないが民族結婚を学校、社会に置き換えた場合、まだまだできること、しなければいけないことがあるとわかった。 簡単なことではないが、守りたいものがある−記者として、在日3世として。(丘) [朝鮮新報 2006.7.18] |