top_rogo.gif (16396 bytes)

日朝友好関西学生の会主催フォーラムpart2 あるべき友好の形探る

日朝友好を模索する学生たちの熱気

フォーラムでは民族教育をテーマに日朝友好の意義が問われた

 日本と朝鮮半島の「次代」を創る学生フォーラムpart2が8日、大阪市立大学で行われた。「日朝友好関西学生の会(学生の会)」主催によるフォーラムpart2では、民族教育をテーマに「日本と朝鮮はいかにして出会えるか?」と両国学生の視点から「日朝友好」の意義が問われた。京都から始まった学生の会は、友好の哲学をいかに発展させるかをテーマに、その規模を京都、大阪、兵庫の2府1県へと拡大しつつある。

 フォーラムには40人の日朝の学生が参加した。

 ドキュメンタリー映画「チェサミ! 京都朝鮮第三初級学校の一日」の上映、ノンフィクション作家の高賛侑氏による特別講演「国際化時代の民族教育」、大阪朝鮮高級学校の玄完植教務部長、民族学級の柳晴実講師による「民族教育の現場のお話」が行われた。

 高氏は、世界で子どもたちの民族教育を否定しているのは日本だけだと指摘し、教育の歴史をふり返り、国際化時代の民族教育のあり方について講演した。

 玄教務部長は「ウリ」という単語の意味、朝鮮学生の法的地位について説明し、国際化時代に朝鮮学生が重要な役割を演じれるはずだと話した。柳講師は民族学級の開級式から修了式までの道程のなかで、子どもたちがルーツを学び成長していく様子を映像とともに説明した。

 つづいて質疑応答が行われたが、終了時間となっても質問は止まらなかった。

 フォーラムは日朝友好を模索する学生たちの熱気の中、学生の会、呉仁済、佐藤大共同代表による「日朝学生友好親善訪朝団」のお知らせ、まとめのあいさつで閉幕した。

 呉共同代表は「朝鮮と日本がどのように関わり合っていくべきかの縮図になれればいいと思う。お互いに壁を築き誹謗中傷するなかで友好とはなんなのかを実践を通してみつけたい」と話し、あるべき友好の形を探したいと語った。

「知る」ことの重要性 先輩から後輩へ、友から友へ

 フォーラム終了後、親ぼくを兼ねた交流会が行われた。フォーラムに参加した大半の学生がこれに参加し、学生同士熱い「議論」を交し合った。

 あちらこちらで飛び交う単語には驚かされる。民族、ルーツ、GHQ、米軍再編、ミサイルなどに加えて、具体的な年号まで飛び出し、さながら歴史の討論会にも見える。

 ある朝鮮学生は、誇りとはなんなのかを問うていた。

 彼は、国籍を変えるつもりはないが、誇りを持つことはそんなに大事なことなのかと話した。名前の「太郎」(仮)は朝鮮語では「テラン」となり、そんな名前ではおかしい、民族性をはっきりと持てないと語った。

 これに「先輩」たちは「おかしいと思ったことが第一歩だ。なぜその名前になったのかを考え、歴史をふり返れば本当におかしいことがなんなのかがわかる」とアドバイス。

 佐藤共同代表は平和と人権をテーマに活動している。差別問題を語るとき周りにいたのは日本人ではなかったそうだ。これはおかしいと思った。日本人として自分たちで解決しなければならないと考えた。佐藤共同代表の周りにいたのは同胞青年だったのだ。こうして学生会や留学同との交わりが始まった。

 留学同大阪の朴重信委員長は「知ることからすべてが始まる」と話す。

 「とてもショックだった。知れば知るほど疑問符がわいてきた」

 朴委員長もまた「知る」過程で民族性を取り戻した一人と言える。朴委員長をよく知る大阪のある研究員生は、朴委員長を「芯の強い男」と表現する。彼によれば、朴委員長は複雑な家庭環境のなかで家族の反対を押し切り、「勘当」を覚悟してまで専任の道を選んだそうだ。

 朴委員長は「『知る』ことにより、なにがどうしておかしいのかが見えてくる。ルーツを知り、歴史を学ぶ過程で民族性は養われていく」と話す。

 学生の会による「議論」は遅くまで続いた。こうして彼らは「知識」と「真実」を先輩から後輩へ、友から友へと受け継いでいく。歴史を学びアイデンティティを確立していく。(鄭尚丘記者)

[朝鮮新報 2006.7.18]