在日1世 |
昨年に続き、ウリハッキョの還暦記念行事(創立60周年)が今年も相次いでいる。子どもたちに民族教育を施してきた教員、同胞たちの記念行事でもある。 その行事取材、また特集記事の取材で1世の同胞に話を聞く機会が多い。日本に渡ってきた経緯などから詳しく聞くと、取材は長時間に及ぶこともしばしばだ。1世たちの、心身ともに深く刻まれた苦難の歴史、そして祖国解放など喜びの記憶を、目を細めたどる方言混じりの口調に背筋が張る。 孫のような存在の駆け出し記者の質問に耳を傾け、答えてくれる。その姿に、今は亡き祖父の姿が立体投影してしまうこともある。 幼いころ、祖父との会話に癒された。そのやさしく包んでくれるような話し方、取材したすべての1世に相通ずるものがある。 祖国、同胞のために昼夜を問わず奔走し、激動の時代を生きぬいた在日1世。学校閉鎖令の話などはリアルな逸話からなるものがほとんどだ。そこからどうしても、異なる時間と時代を過ごした1世と記者の世代のさまざまな考えの差について考えてしまう。 その差をどうリンクし、せばめ、異国で民族性を継承していくために何を守り、何を創造すべきなのか。1世の想いを汲み取り、伝えていくことは、緊急な課題だと感じている。 私事ながら今年、父方の祖父は4回忌、母方の祖父は14回忌を迎えた。生前に、もっと「1世の証言」を聞いておけばと悔やんでいる。(東) [朝鮮新報 2006.7.4] |