名古屋 東山霊安殿 朝鮮半島出身者遺骨問題 粉砕処理後に遺族判明 |
遺族ら、真相解明求める
昨年6月18日、全国的に開設された「朝鮮人強制連行犠牲者(遺骨問題)ホットライン」に、無縁仏として名古屋市の東山霊安殿に眠る朝鮮半島出身者の遺骨の一部が無断で粉砕されたとの情報が寄せられた。以降、総連、民団の愛知県本部、愛知県朝鮮人強制連行真相調査団による遺骨返還に向けた取り組みが始まった。 東山霊安殿を管理する名古屋市社会福祉協議会は、無縁仏となった朝鮮人の身元を調査し遺骨を遺族に返す努力をせず、在日同胞団体(総連、民団)に対しても連絡もせず粉砕処理した。 これについて、協議会側は「日本人と差別なく安置した」と答えた。そして、その答えがおかしいことに気づき、彼らは身元調査に全面的に協力することを約束した。協議会は、8月3日に1991年以降の死亡者名簿を新たに115人分提出し、1984年以降の朝鮮人「無縁仏」に対する粉砕処理を中止すると明言した。 愛知調査団は、121人分の名簿(15年前に協議会が民団愛知に提出したもの。あとの調べで1人分の重複が判明し、正確には120人分の名簿。この内77人が粉砕された)と、新たに提出された115人の名簿、計236人の名簿を南朝鮮の国家記録院の名簿から検索し、強制連行者の氏名と出生年度が一致した34人分を絞りだした。民団愛知県本部は国民登録台帳から12人の名簿を捜し出した。その同胞たちの遺族探しを南朝鮮政府に依頼した。
その結果、10月末に遺骨9人分について遺族が明らかになった。つまり、無縁仏ではないことが判明した。 調査団と民団は12月の初旬、「韓半島出身者遺骨調査会(仮称)」の名で、遺族へ手紙を送った。遺骨をすぐに返還してほしいとの電話連絡があったり、アボジへの思いをつづったり、返信の手紙が届いた。 今年3月末、南朝鮮で聞き取り調査を実施した。5人の遺族の聞き取りをする中で、さまざまな人間模様が浮き彫りになった。 故金太秀氏(1981年愛知県東郷町で死亡。遺骨は粉砕)の長男、金良洽氏(済州市在住)は、「私が2歳のときに父は単身日本へ渡り、5歳のときに母も日本へ渡った。父は北海道に徴用されたことを手紙で伝えてきた。解放後戻ってきた母は、苦労のすえに49歳で亡くなった。父は1976年に京都から、1978年には東郷町の『和合病院』から手紙をくれたが、その後、音信不通となった。15年前に死亡届を仕方なく出した。…もう少し早かったら、遺骨は粉砕されずに家に帰ってこられたのに残念だ。日本で遺族を探してくれたことを感謝している。父が日本でどのように暮らし、名古屋で亡くなったのか調査を望む」と熱く語った。 聞き取り調査に行った民団愛知県本部の姜祐正氏は、遺族から日本での足取りを聞きたいと言われても、答えることができない、これからの限りない作業のうえで、国、行政が主体となり、民族団体が補助することが望まれると言う。 総連、民団の愛知県本部は昨年12月26日、愛知県と名古屋市に対し日本政府が行っている朝鮮半島出身者遺骨調査の状況報告と正確な調査を求めた。 愛知県は各自治体に調査を依頼したが、1自治体で朝鮮人関係の書類があるとの回答を得ただけだった。名古屋市は調査自体を行わなかったが、両団体の要請後、ホームページで情報提供を呼びかけた。 協議会は、東山霊安殿に安置されている朝鮮半島出身者の遺骨を遺族へ返還する際の対策案を、今年4月19日に総連、民団両愛知県本部に通知した。 協議会の熊澤章総務部長は、「この問題は、事務的な問題ではなく、心の問題」だとし、遺族に思いが届く方法を探りながら対応していくと約束した。 調査団に今年4月、協議会の新しい担当者から「この問題を最も大きな課題とわきまえている」との連絡が入った。 総連、民団愛知県本部は、愛知調査団、「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」とともに、「日本とコリア間の真実と未来を照らす 5.13あいちの集い」を開催し、遺族への聞き取り調査の報告を行った。 また、名古屋市が主体になり、遺族への経緯説明と遺骨の返還、慰霊祭への招待などが実現されるよう両団体が正式に要請する予定だ。 東山霊安殿の朝鮮人遺骨が、直接的な強制連行被害者と断言することはできない。しかし、日帝植民地時代、故郷を奪われ日本に渡ってきた同胞であることはまちがいない。 在日朝鮮人の歴史が100年に至り、この名古屋にも多くの足跡が刻まれたことを日本人たちが理解し、これからも私たちの後世が在日朝鮮人として堂々と生きていく−遺骨問題解決に向けた取り組みをその契機にしていかなければならない。(金順愛、愛知県朝鮮人強制連行真相調査団) [朝鮮新報 2006.5.31] |