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〈解放5年、同胞新聞事情−C〉 「民青時報」 「女盟時報」

 今回は、朝聨の傘下団体であった民青と女同の機関紙「民青時報」「女盟時報」についてみる。

「民青時報」

 1945年10月に結成されたあと、朝聨中央総本部には専門部署として総務部、経済部、情報部などとともに青年部、婦女部も設けられた。朝聨第2回臨時大会(1946年2月)などを通して朝聨の活動が拡大する中で朝聨第7回中央委員会(1946年8月2日〜8月4日)は、青年問題、婦女問題に対する新たな処置を決めた。決定では「青年の独自的組織と自主活動に関して」として青年組織は下部から実現して「在日本朝鮮民主青年同盟(仮称)中央準備委員会」とし、「婦女の独自的組織『在日本朝鮮婦女同盟(仮称)』を組織して婦女の自主的活動を展開させることを目標にする」などとした。

 そして1947年3月6、7日に「在日本朝鮮民主青年同盟」(略称、民青)結成大会を開催、朝聨傘下の青年団体が発足した(初代委員長尹鳳求)。また、1947年10月12、13日、「在日本朝鮮民主女性同盟」(略称、女同)も結成大会を開き、解放後はじめての同胞女性団体の誕生を告げた(初代委員長金恩順)。

 「民青時報」の創刊は1947年7月5日、旬刊であった。発行所は在日本朝鮮民主青年同盟総本部、東京都港区芝田村町1−3、発行人は尹鳳求、日本語版であった。

 創刊の辞では、「若き10万の声≠れらの機関紙はかくて生まれた」として「『民青時報』の任務はかかる彼らの一方的言論の欺まん性を暴露し、われわれの正しい意志を報道して多くの青年を被圧迫的地位から救い出し、われわれ相互の経験と理想を全国の同志諸君に報道して、われわれの運動の全面的発展を期することにある」となっている。

「女盟時報」

 結成当時、「民青時報」は文化教養部が担当したが、1947年8月5日付4号からは独立部署の出版部が担当した。編集委員を尹鳳求(委員長)、李応福(副委員長)、金敬天(出版部)、朴在魯(外事部)、金四哲(文化部)、金孝植(組織部)などの民青の主要活動家が担当していた事実は、機関紙発行を重要視して取り組んだと思える(活動報告書、第2回臨時全国大会、1947年10月)。

 また、民青第3回定期全国大会や中央委員会などでも機関紙に関して論議している。たとえば、「民青時報」と朝聯時報などを合同して単一中央機関紙にしたほうが反動新聞に対抗しやすい、青年は青年の立場の単独の新聞が必要、新聞配達をまとめてやるべきであるなど。

 民青の機関紙活動は「敵の言論弾圧は漸々増加する現勢にある」(民青大会報告)としながらも旺盛であった。民青第3回定期全国大会提出報告書(1948年年10月)によると民青中央は、機関紙とそれに準ずるものを4種類も発行していた。2回大会から3回大会まで、「民青時報」は11号から25号まで計31万5000部、「民青ニュース」1号から3号まで計5万部、「前衛隊」1号から5号まで計7万5000部、「活動指針」1号から13号までの計3万9000部、発行総数は47万9000部に及ぶ。「民青時報」以外は、日本当局の検閲制度変更により1948年7月より一本化された。

 日本当局は、朝聯と共に民青を強制解散(1949年9月8日)させ、それによって「民青時報」も廃刊になる。「民青時報」の発行と普及と利用は、解放直後の在日朝鮮青年の気概を誇示する活動の一端といえよう。

 「女盟時報」の創刊号は、発行日1947年12月29日、発行所は在日本朝鮮女性同盟中央本部文化部、東京都中央区月島西中通12−7、発行人は金恩順となっている。創刊号は謄写版で、朝鮮語を基本に漢字には朝鮮語のルビを打っている。月刊新聞である。2号から活版印刷になっている。

 創刊号では、女盟委員長の創刊の辞と朝聯尹槿議長の新年を迎えて朝鮮女性に送る言葉をはじめ多彩な記事が載っている。

 創刊に関して委員長は「祖国の民主独立と人民生活の向上とわが女性のあらゆる権利を擁護し、また発展させ、ファシズムと侵略戦争を絶滅させ世界平和の恒久維持をその重大な使命として誕生した、20万女性大衆の組織である在日本朝鮮民主女性同盟は新年初頭から機関紙『女盟時報』を創刊することになった」と女性同盟の課題とその機関紙発行の趣旨を述べている。また、機関紙はわれらの組織者となり宣伝教育者となり、わが民族の自主独立と民主主義事業の「たたかう武器」となるであろうと重大な使命を語っている。

 「女盟時報」は、当研究所にある創刊号から1949年7月25日付の16号までを見ると、月1回発行できなかったのは中途3回だけである。新聞のタイトルの字体が何度も変わっているのを見ると、試行錯誤の雰囲気がうかがえる。9号(1948年9月25日)から発行所は中央区京橋槙町1−12へと移っている。ちなみに強制解散を免れた女同は、総連結成後は総連の傘下団体となり、来年に結成60周年を迎える。「女盟時報」は現在、「朝鮮女性」(2005年No555)へと継がれている。(呉圭祥、在日朝鮮人歴史研究所研究部長)

[朝鮮新報 2006.4.5]