サッカー部のOBとしての喜び |
「国見散る」−4日、朝のスポーツ紙の見出しが夢のように思えた。3日の国見戦。点が入った時、メモを取るのをそっちのけで、ピッチに釘付けになっている自分がいた。「これって現実?」。そんな錯覚にとらわれた。 第84回全国高校サッカー選手権大会でベスト8を成し遂げた大阪朝高サッカー部。記者も青春時代を同部で過ごした一人。それだけにこれ以上ない感動をもらった。 記者が同部の高3時(1995年)、朝高の選手権参加が認められた年だった。選手権は夢の舞台で、「国立」はあまりにも遠い存在だった。しかし、年を重ねるごとに頭角を表し、99年インターハイ、00年選手権の舞台へ上がった。選手らの姿を見て、「いつか全国大会に出場するサッカー部の取材をして、いい記事を書いてやりたい」と心待ちにしていた。去年の府予選決勝からいい取材をさせてもらった。こぼれ話がないか何度もロッカールームに顔を出した。笑顔で答えてくれた監督と選手ら。ロッカールームに響いた安泰成主将の涙声がいつまでも耳に残る。「みんながんばった。顔あげよう。2年、次はお前らがやるんや…」と。 読売テレビ(大阪)が運営する高校選手権のウェブサイト(http://www.y 東京朝高出身の同胞(33)は、「あなたたちは歴史に残るKOREAの英雄」、東大阪市民(46)の男性は、「大阪府民、東大阪市民の誇り」と熱い言葉を残している。これらは今後の期待の表れでもある。 それでも康監督に気負いはない。 「おごり高ぶらず、いつも挑戦者の身でありたい。今からが新たなスタートです」(c) [朝鮮新報 2006.1.17] |