老後の不安 |
先日、医協の学術報告会に参加した。高齢化社会における医療をテーマに「老い」や高齢者の医療や生活について、講演会やシンポジウムなどが行われた。その中で一番興味深かったのは、生きがいについてのアンケートに対する答えの中で、同胞の高齢者の方が日本人の高齢者より生きがいがないと答えた人が多かったという点だった。これはとくに趣味がないという意味合いも含まれているようで、そこにはいろいろな背景が存在するのだろうと思う。 祖国から日本に渡った多くの一世は、生きるために一生懸命だったため、趣味を持てる時間がなかったのではなかろうか。そして子どもや孫ができ、やっとのんびりできるようになった頃、老後を迎えた。今まで日本人との関わりをあまりもってこなかったハラボジ、ハルモニにしてみれば、急に日本の人たちが集まる地域の老人会やクラブに参加することに二の足を踏む人も多いだろう。 まして一世たちは、日本の学校に通った経験もあまりない。そのため、日本的な集団生活にはなじめないのも当然である。そうした文化の違いによって、自分だけ差別されているのではないかと感じることも多いだろう。 総聯本部、支部、分会などでは、ハラボジ、ハルモニの集まりや催しもあるが、日本の老人クラブのようにたくさんあるわけではない。 高齢化社会が進む中、ハラボジ、ハルモニたちが朝鮮語で話したり、うたを歌ったりして楽しく過ごせる環境、場所がもっともっと必要だとあらためて感じた。(康麗順、放射線技師) [朝鮮新報 2005.12.5] |