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母への手紙

 今日は長男の誕生日。朝からミヨックッを作り、起きない息子を何度も怒鳴りながら起こす。ミヨックッ以外はいつものわが家の朝の光景だ。

 誕生日の朝にもう一つすることは、窓を開け東の空に一礼すること。あいにく今日は雨で中止。これには1年間無事に過ごせた感謝の意味があるそうだ。

 以前、親せきのお年寄りから聞いたことを息子や娘の誕生以来、実践してきた。その際にもう一つ言われたことがある。それは誕生日は本人を祝うと共に生み、育ててくれた親に感謝する日でもあると言うこと。「ごもっとも」と納得。

 しかし、親の誕生日に贈り物をしたことは何度もあるが、自分の誕生日にあらためて親に感謝の言葉を贈ったことなど一度もなかった。

 70歳を過ぎて、小さくなった身体で店を切り盛りしながら働く母の姿を見ながら、いつかは書こうと思いながらもつい書きそびれていた。

 今年こそはと思いながらもいざ手紙を書こうとすると、照れくさい。

 これまで友だちや知人に書いた手紙は本当に数しれない。しかし親に感謝の手紙を何とか書いたのは今年が初めて。

 感謝の気持ちはノート一冊分でも足りないのに、小さなカード一枚書くのにペンが進まず苦労した。息子の誕生日の朝に浮かんだ母への手紙のこと。ミヨックッの香りの立ち込める台所で、その手紙の最後の文句を思い出した。

 「来年もこの手紙が書けるように必ず元気でいること!」

 照れくさくて、やはり最後までやさしい言葉にはならなかった。(李清淑、主婦)

[朝鮮新報 2005.1023]